【駅ペン】沿道の恩師「行けーッ」に走りながら泣いた31年前…応援がない箱根駅伝は寂しい

3区、タスキを握りしめ力走する東洋大・前田義弘(カメラ・竜田 卓)
3区、タスキを握りしめ力走する東洋大・前田義弘(カメラ・竜田 卓)

◆報知新聞社後援 第97回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)往路(2日、読売新聞東京本社前―芦ノ湖、5区間=107.5キロ)

 毎年、箱根駅伝3区の選手が7キロすぎのJR東海道線陸橋に差し掛かる頃、思い出す光景がある。

 31年前の1990年大会。当時、低迷期にあった東洋大の2年生だった私は3区を走った。タスキを受けたのは13位。沿道の大観衆は後方を走る選手にも大声援を送ってくれた。7キロすぎの陸橋は応援が禁止のため、その数百メートルだけ静寂の中を走る。陸橋を下り、静寂が終わる瞬間、私は沿道から飛び出す勢いで応援してくれている人を確認した。

 埼玉県立川口北高時代の恩師・松枝茂樹先生が、野球の三塁コーチが本塁突入を指示するように右腕をブンブン回しながら「行けーッ! 走れーッ! 頑張れーッ!」と大声で叫んでいた。

 その瞬間、涙がブワッと出て、目の前がにじんだ。体は熱くなり、ペースは上がった。勢いに乗って浜須賀交差点を右折し、国道134号線をひた走った。

 だが、しかし。実力以上のハイペースがたたり、残り3キロで両足が痙攣(けいれん)。タスキをつなぐことさえ怪しくなり、大幅にペースダウン。結局、区間13位の凡走に終わったが、応援には大きな力があることを身をもって知った。

 昨年末、暮れのあいさつで松枝先生に電話した。改めて31年前のお礼をして話を聞いた。当時、松枝先生は39歳だったという。家族もあり、正月早々、埼玉・岩槻市(現さいたま市)の自宅から神奈川・藤沢市まで出向くことは大変だったと思う。でも、松枝先生は「教え子が箱根駅伝を走るというのなら絶対に駆けつけるよ」と言ってくれ、また私は涙した。松枝先生はその後、続けて話した。「どの先生も同じだと思う。今回、選手の先生も応援に行けないから残念だろうね」

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、医療従事者をはじめ大変な方々が多くいる。今回ばかりは仕方がないと分かっているが、それでも応援がない箱根駅伝は寂しい。

 今大会に向けて主催者は「応援したいから、応援にいかない。」というキャッチフレーズとともに「観戦や応援目的での外出をお控えください」と呼び掛けている。この切ないメッセージが今大会限りとなることを願う。(竹内 達朗)

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