多くの日本人がステイホームを余儀なくされた大みそかの午後11時9分。「第71回NHK紅白歌合戦」の大舞台で氷川きよし(43)がNHKホールの空中を華麗に飛び回った。
完全にロックの「限界突破×サバイバー」を最初は純白の衣装で力強く歌い始めると、間奏で激しいスモークを浴び、真っ赤な衣装に早着替え。網タイツ、シースルーで太ももがあらわになる大胆なコスチュームを見せつけると、最後はゴールドに輝く豪華衣装でワイヤークアクションによるフライングを披露。約4分の歌唱の間、まったく息は乱れないままだった。
このパーフェクトな歌声を披露した上での3変化に総合司会の内村光良(56)は「飛んだ! 飛んだ!」と絶叫し、「毎年、観るのが楽しみだね~」と大喜び。白組司会の大泉洋(47)も「何回、着替えたんだ?」と驚愕した。
一昨年は「限界突破×サバイバー」の特別バージョン「紅白限界突破スペシャルメドレー」を黄金のドラゴンに乗って披露した氷川は昨年12月30日のNHKホールでのリハーサルでも前年を上回る「超限界突破パフォーマンス」の披露を宣言。「身を捧げる思いで、命がけでやります」と約束していた。
この氷川の奮闘もあり、紅白は第2部(午後9時~)の平均世帯視聴率が関東地区で40・3%(関西地区39・3%)を記録。2019年の37・3%から3・0ポイント上昇し、2年ぶりの40%台となった(数字はビデオリサーチ調べ)。
リアルタイムで視聴した氷川の歌声に心を揺さぶられた私だったが、一つだけ心残りがあった。それは、氷川のリハでの「命がけ」宣言を生で、この耳で聞けなかったことだった。
新型コロナ禍の昨年、紅白取材も大きな変化を余儀なくされた。
取材できるのは、一般紙、スポーツ紙の新聞媒体のみ。12月29、30日の両日、音合わせとリハーサルを終えたアーティストが順番に写真撮影、囲みインタビューに応じてくれる取材には例年、ネット媒体も含め、のべ200人の記者、カメラマンがNHKホールを埋めたものだったが、昨年はスポーツ紙6紙から代表質問者1人のみがインタビュー。その映像と音声を各社の他の記者4人がNHK局内の別室でリモート取材するという形に。
写真撮影もNHKのオフィシャル、一般紙の代表撮影、スポーツ紙の代表撮影のカメラ3台のみに限定。リモート用の別室に入れるのも各社1人限定という“超厳戒態勢”だった。
もちろん、コロナ禍の特別な状況での取材。ここまで協力してくれたNHKには感謝の言葉しかないが、一昨年までの目の前数十センチの距離にアーティストたちがいる熱さだけは、リモート取材では、どうあがいても再現できなかった。
そう、生放送で氷川の熱唱を見た時に感じた悔しさの理由は一昨年に体感してしまった熱さにあった。
2019年12月28日。私は斜め後ろ50センチほどの距離から氷川の背中を見つめていた。音合わせを終えた午後5時、2000年のデビュー以来、「演歌のプリンス」として絶大な人気を誇ってきたトップスターは、とてもいい匂いがする香水の香りとともに待ち構えた約70人の記者の前に現れた。
ばっちりメイクとおしゃれなブラックで彩られたネイルで笑顔を振りまく人気者は、その年、様々な意味で「限界突破」していた。YouTubeで公開したアニメ映画「ドラゴンボール超」の主題歌「限界突破×サバイバー」の歌唱では、細い眉にメイクの妖艶な外見が大きな話題を呼び、再生回数400万回突破。
同年8月のヤクルト戦の始球式に登場した際にはムダ毛が全くないショートパンツ姿で「美脚」を披露。同月に日本テレビ系「スッキリ」に生出演した際には、自らを「あたし」と呼称。耳目を集めた。大型アニソンフェス「アニサマ2019」には足、胸、腕がシースルー素材の全身真っ黒なビジュアル系衣装で登場。「kii(きー)」名義でインスタグラムも開設。純白のウエディングドレス姿などを披露した。
178センチの長身を黒のロングジャケットで包んだ氷川は、その時、私の目の前で約10分間に渡って熱弁をふるった。
「本当に今年は最高の1年でした。ずっと、イメージ付けされてきた部分があったから、今までイメージされていた氷川きよしというイメージをぶち壊したいという気持ちがあった。今までの氷川きよしは氷川きよしでバックボーンとして毎日、一生懸命やってきたんですけど、20周年を迎えて、時代も変わって、自分らしく、ありのままの姿で音楽を、自分を表現したいって」―。
一気に話すと、「どうしても人間って、カテゴライズしたり、当てはめよう、当てはめようって、人と比べたりする傾向があると思うんですけど、そこの中でやっているのはすごく苦しいです」と正直に続け、「そのために今年初めから自分の中で決意していて。本当の自分を表現しよう。ありのままの自分を表現しようって。もっと、自分の中に持っているもの、自分の才能、持っているものを、もっと生かせたらいいなって。全部、表現しようと決めたんです。限界突破で、このドアを開こう。誰も切り開いていない道を1人で切り開くのは大変だけど、摩擦とか怖がっていたら、次のドアは開けない。自分の個性、命を大事にして、人を励ましていけるアーティストでいたいんです」と話し続けた。
「これからはきーちゃんらしく、きよし君にはちょっと、さよならして。きーちゃんとして、私らしく。より自分らしく、ありのままの姿で紅白で輝きますから、それを見て皆さんも輝いて生きて下さい」と話すと、最後の最後に「私は自分に負けません」―。本当にきっぱりと言った。
そう、気づくと、氷川の真後ろに位置する形になった私は一言、一言を自分の言葉ではっきりと話し続ける、その細い背中を見つめ続けていた。
それから1年がたった。男女の性差、性的指向の違い、身体的・精神的な障害の有無、貧富の差―。世の中に厳然として存在するそうした差別的なものの見方にアイドル並のルックスで演歌を歌う「貴公子」として振る舞うことを常に要求されてきた歌手が内面で、どれほど苦しんできたのか。私は、この1年間、そのことをずっと考えてきた。
2年前の約10分間の会見で氷川が口にした「カテゴライズ」「すごく苦しい」「命を大事に」「自分に負けません」などの晴れの紅白会見には似つかわしくない言葉の数々。そんな言葉たちが鈍感な私にすら、その20年分の苦悩の深さを教えてくれたから―。
そして、挑んだ昨年の大舞台でも、氷川は「ありのまま」の姿で熱唱し、コロナに沈んだ日本中に大きな勇気を与えた。
私はリハーサルの日に直接、その声が聞けなかったことを悔やみつつも、テレビ画面の中で熱唱する氷川の姿に、鮮やかな3変化に、性差に始まるあらゆるカテゴリー分けを、はるかに超越した潔くて、美しくて、かっこいいものを見た。「第71回紅白歌合戦」の舞台でも、氷川が見せてくれた、いや魅せてくれたのは「本当に美しいものとは何か?」という問いかけへのはっきりとした答えだった。(記者コラム・中村 健吾)
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