高校時代の掛布雅之の強肩に仰天…阪神入団60年・安藤統男の球界見聞録<1>

スポーツ報知
17年、阪神キャンプを訪れ掛布2軍監督(左)と話す安藤統男さん

 1962年の阪神入団から間もなく60年。元阪神監督のスポーツ報知評論家・安藤統男氏(81)が、これまでため込んできた球界のあんな話こんな話を連載コラムでお届けします。第1回目は、掛布雅之氏(65)=阪神レジェンド・テラー=のプロ入りに一役買ったエピソードなど、ミスタータイガース誕生を語ります。

 甲子園大会をテレビで見ていると「この選手はいいな」「プロでもやれるぞ」と感心する高校生が何人か出て来ます。彼らがその後プロに入ってレギュラーになり、一流選手に育つと「俺の目もまんざらではなかったな」と、楽しい気分になります。

 彼を初めて見たのも高校生の時でした。好選手でした。でも正直なところ、これほどまでの選手になるとは…。その後の活躍は当初の予想をはるかに超えました。

 掛布雅之。「カケフ」とは一度も呼んだことがないので、いつもの調子で呼ばせてもらいます。「カケ」は私の野球人生の中で最も印象に残る選手と言ってもいいでしょう。「掛布は安藤が取った」「掛布を見いだしたのは安藤」とよく言われます。確かに彼が阪神に入団する時、私が一枚かんでいたのは事実です。しかし、その後の成長は本人の素質、努力の結果以外の何物でもありません。私はお手伝いをしただけ。「いい選手は勝手にうまくなる」というのが私の持論です。

 1973年のシーズン終盤の頃だったでしょうか。知り合いから「俺の甥っ子の高校生を見てもらえないか」と言われました。そこで、甲子園球場に来てもらって、テストをすることになりました。金田正泰監督、岡本伊三美ヘッドら1軍首脳陣も見守る中、カケに着せるユニホームがなく、私の背番号「9番」のユニホームを裏返しに着させて練習をさせました。

 バッティング練習では、左中間にライナーの打球をポンポンと飛ばしました。リストが強く、後に本塁打王を3度も取る打者になるのですが、当時は「強打者」よりも「好打者」のイメージでした。そのバッティングに金田監督と岡本ヘッドがほれました。

 しかし、私がバッティングより驚いたのが地肩の強さです。三塁でノックを受けたのですが、一塁へ送球をしたらとんでもなく高い球を投げました。カケが投げた球は一塁手のはるかに上。金網も越えてスタンドに飛び込みました。「何という肩の強さ!」。悪送球のマイナスよりも、強肩の評価がはるかに上回ったのです。それで合格。ドラフト会議では6位に指名されました。

 契約金300万円。月給7万円(年俸84万円)で入団したカケはその後、年俸1億円に手が届くまでの高給取りになりました。彼がなぜこれほどまでの選手になったか。それは第2回目以降に書くことにします。(スポーツ報知評論家)

 ◆安藤 統男(本名は統夫)(あんどう・もとお)1939年4月8日、兵庫県西宮市生まれ。81歳。父・俊造さんの実家がある茨城県土浦市で学生時代を送り、土浦一高3年夏には甲子園大会出場。慶大では1年春からレギュラー、4年時には主将を務めた。62年に阪神に入団。俊足、巧打の頭脳的プレーヤーとして活躍。70年にはセ・リーグ打率2位の好成績を残しベストナインに輝いた。73年に主将を務めたのを最後に現役を引退。翌年から守備、走塁コーチ、2軍監督などを歴任した後、82年から3年間、1軍監督を務めた。2年間評論家生活の後、87年から3年間はヤクルト・関根潤三監督の元で作戦コーチを務めた。その後、現在に至るまでスポーツ報知評論家。

 ※第2回は1月15日午前6時配信予定。「安藤統男の球界見聞録」で検索。

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