スポーツ報知は、年末年始の特別企画として日本ハム期待のホープたちのインタビューを3回に渡ってお届けする。第1弾は清宮幸太郎内野手(21)。攻守ともに課題が生まれたプロ3年目の収穫と反省。10年目の節目を迎える栗山英樹監督(59)への恩返しの思い。背番号と同じ21年シーズンを“清宮イヤー”とすべく、増量に取り組んでいることも明かした。(取材・構成=秦雄太郎)
―今季は年間通して1軍に帯同しました。
「やっぱり、1年間結果を出し続ける難しさがあるのかなと常々思います。今季は1回も…というか、出し続けるというレベルでもなかったと思います」
―一塁ではパ2位の7失策と守備の課題も見えた。
「凡ミスが多かったので。『それをエラーするか…』みたいな。挟殺や、マルちゃん(マルティネス)の送球を捕れなかったり、何でもないゴロをそらしたりとか。信頼も失っていきますよね」
―来季の目指す姿は?
「普通のプレーを普通にやる。もちろん高みを目指さないといけないですけど。欲を出せば、いつかゴールデン・グラブ賞を取れたらと思いますけど、まだまだそんな(レベル)ではないので」
―守備が打席に及ぼす影響はありますか?
「多少はあると思います。でも、そうなったときに気持ちがぶれないように、日々を過ごしています。常に自分と戦っていると思っていて。例えばですけど、靴を並べる…とか。そういう決めごとをして常にやり続ける…みたいな」
―それは強く感じたこと?
「自分に甘えや『まあ、いっか』って思うと、一定の心ではなくなってしまう。野球は本当にミスがつき物のスポーツなので。ぶれない心っていうのはすごく大事かなって」
―今取り組んでいることがあるんですか?
「靴を並べる、は例え話です。でも、自分と約束したことくらい守れないとねってこと。『自分に勝てんの?』ってところです」
―ミス後、感情がすごく表に出ていた打席があった。
「札幌Dのロッテ戦【注1】ですよね。逆にすごく燃えていた。自分がエラーして同点に追いつかれて9回入って。もう、めちゃくちゃ燃えていました。これで打たなかったら、面目ないって」
―ぶれない心を持ちつつ、熱い思いは全面に出す?
「そう思います」
―栗山監督は来季就任10年目の節目になります。
「起用してくださって、本当にありがたいです。早く期待に応えたい。楽にさせてあげたいです」
―心労をかけている?
「本当にそうです。僕が打てば、チームも変わると思います。いつも迷惑ばっかりかけているので。早く打てるようになりたい」
―入団後3年は病気やケガ【注2】に悩まされた。おはらいに行ったことも?
「行ってないです。でもひどかったです。今季はやっとシーズンオフを過ごせていますね。今までとは全然違います」
―増量にも取り組んでいると(取材時は107キロ)。
「自分の中で物足りない部分があった。飯食った直後なので、普段はもっと少ないと思いますけど。増量と言うより、ボリュームアップですね。あ、同じか(笑い)」
―どんな効果を期待して?
「体の使い方もすごく大事。ただ、もっと思い通りにバットを扱えるようになれればいい。そのために筋力もつけて」
―過去3年で本塁打が7本ずつというのは?
「いや~ちょっと情けないですね。あ!? 『777』でラッキー…ってことですか?」
―そうです。来年は21年で背番号の年でもあります。
「そうですね(笑い)。いいことありますように!」
【注1】9月20日のロッテ戦(札幌D)。3―2でリードした9回表2死一、二塁。捕手・清水が飛び出した一塁走者を刺しに行ったが、悪送球となり同点に。一塁の清宮に失策はつかなかったが、捕れる球という声も上がった。清宮は9回裏に2死二塁の場面で、益田から左前打を放ち好機を作るもサヨナラはならず。延長の末に3―5で敗れた。
【注2】高卒1年目の18年は開幕前の3月に限局(げんきょく)性腹膜炎で入院。また7月には右肘の炎症で1か月実戦を回避した。19年は3月3日のオープン戦で右手有鈎(ゆうこう)骨を骨折して離脱し骨片摘出手術。同年オフの10月には右肘関節形成術を受けた。リハビリのため、20年春季キャンプは初の2軍スタートとなった。
■取材後記 清宮が記した言葉は「自分に克(か)つ!」だった。インタビュー前に来季の目標を色紙に、とお願いすると「あ~、どうしよう」と悩んでいた。珍しいな、と思った。プロ入り前から注目を浴び続けてきたスラッガーは、取材の度に高校生離れしたコメント力が際立っていた。何かを聞けば期待以上のものを返してくれる男。だが思い返せば今オフの契約更改でもひねりなく「日本一」とだけ記していた。
プロ入りから3年。苦しみ、悩んできたはずだ。度重なる故障。打撃不振。同世代のヤクルト・村上と比較もされる。3年目で既に21本塁打(参考として中田は9本)を放っているが、期待の大きさが故に伸び悩む印象の方が強く見えてしまう。成績とコメントが比例しなければ、風当たりも強くなるのが世の常。自分の成績に納得できないから、思い切った言葉が出てこなくなったのかもしれない。
15分のインタビュー後に色紙を手渡してもまだ悩んでいた。途中の「自分に勝てんの?」という言葉が印象的で、こちからから「自分に勝つ」はどうでしょうと提案した。「それ! いいですね。“かつ”はあっちの“克つ”で」。父・克幸さんの名前にも含まれ「努力して困難な問題、状態を解決し乗り越える」という意味がある「克」。4年目は、そんな1年になってほしい。(秦 雄太郎)