桃田賢斗、“復興五輪”は「ネガティブなニュースを全部飛ばせられるような大会に」

東京五輪で金メダル獲得を目指す桃田
東京五輪で金メダル獲得を目指す桃田

 特別な節目へ―。バドミントン男子シングルスで世界ランク1位の桃田賢斗(26)=NTT東日本=が、スポーツ報知などのオンライン取材に応じた。東日本大震災から10年となる今年に開催される「復興五輪」としての東京大会へ意義と決意を語った。被災当時は福島・富岡高1年。震災後は県内の猪苗代町に拠点を移して活動を続け、中学・高校の6年間を福島で過ごした。19年シーズンは国際大会V11でギネス世界記録にも認定された圧倒的な金メダル候補が、思いを込めて左腕を振る。(取材・構成=細野 友司)

 五輪全5種目制覇も夢ではない日本バドミントン界の中心に、桃田がいる。18、19年世界選手権2連覇。18年9月に就いた世界ランク1位の座も、2年以上保ち続ける絶対的な存在だ。

 「バドミントンの注目度は絶対的に上がっていると思いますし、その流れで自分が五輪で結果を出すのは意味があることだと思うので、本当に優勝を目指して貪欲に勝ちにいきたいです。コートの中での感謝の気持ちや諦めない姿勢を、見ていただける人たちにしっかり伝えられる試合にできたらいいと思います」

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、東京五輪は予期せぬ1年延期に見舞われた。中学・高校の6年間を福島で過ごした桃田にとって忘れがたい「3・11」から、10年の節目に開催される巡り合わせとなった。

 「そうですね…。もう10年か、って感じです。本当に、まだまだ復興しきってはいないと思うし、同じような生活ができているかといえば、そうではない。それに、(コロナ禍の)今みたいな状態が重なって大変だと思いますし…。でもそんな状況の中でも、“第二の故郷”である福島の人は本当に温かいメッセージをくれます」

 当時、桃田は16歳。東日本大震災の瞬間は、インドネシア遠征中だった。宿舎のテレビを通じて接する情報に言葉を失った。

 「本当に鮮明に覚えています。テレビはインドネシア語なので何を言っているか全く分からない。でも、何となく見たことがある景色が、津波で流されていく…。どうなっちゃうんだろう。自分のことで言えば、インドネシアから帰れないんじゃないかと考えましたし、もう本当にダメなんじゃないかと思いました」

 幸いにも数日後に帰国がかない、故郷の香川へ。その後は実業団のトナミ運輸(富山)などで練習し、約2か月後に福島・猪苗代町で活動を再開した。猪苗代中・高の校舎を間借りして授業を受け、練習は町営の体育館を借りて行う形だった。

 「大堀先生(富岡高監督)がいろいろなチームに掛け合ってくれて、トナミ運輸で練習することができて、その間も『いつか(富岡高は)再開するから、それまで待ってくれ』と言われていたので、(転校は)考えていなかったです。『あるぱいんロッジ』(猪苗代で寮生活したペンション)の平山さん(オーナー)は大変だったと思うんですけど、活発な中高生を受け入れて…。本当に大変だったと思うので感謝しています」

 13年に卒業し、NTT東日本に入社。その年の9月、「復興五輪」の使命を背負った東京大会の2020年開催が正式に決まった。12年に世界ジュニアを制し、次世代の有望株として注目を集め始めた時期。ただ、当時は日本一を決める全日本総合選手権のタイトルも持っておらず、五輪はどこか夢の世界の話だった。

 「その時は、そんなに意識はしていなかったです。東京でやるんだ…くらいで。意識し始めたのは本当に最近ですよ。19年に五輪レース(出場権争い)が始まって。(19年12月に)出場確定ラインにきて、あぁ五輪出られるかもしれない。それくらいからですね」

 昨年7月中旬。五輪1年前を迎える直前のタイミングで、現在はふたば未来学園として再出発した母校で合宿を行った。後輩たちを練習相手に、刺激を受けながら英気を養った。

 「日本代表合宿が再開する直前だったので、最後にというか、節目に母校にあいさつをしたかった。後輩たちは、本当にバドミントンが好きなんだなと思いますね。休憩時間もずっと羽根を打ち合っている。今の自分なら、休憩時間はずっと休憩しているので(笑い)。パワーをもらいました」

 世界ランク2位まで上がり、金メダルが有力視されていた16年リオ五輪は、違法賭博問題による出場停止で棒に振った。回り道はした。ただ、感謝を結果で示すその日まで、被災地の恩人たちは待ってくれている。

 「2016年の時はいろいろな方を裏切って、本当に迷惑をかけてしまった。その分、東京では感謝の気持ちをしっかり持って、恩返しの気持ちを持ってできたらいいなと思います」

 16歳で人生を揺るがす天災に見舞われた一学生が、世界での戦いにもまれて成長し、10年後に「復興五輪」の頂点に立つ―。その尊さを桃田自身もよく分かっている。だからこそ、一番輝くメダルへと力強く歩む。

 「ああいう経験をした自分が伝えられることもあると思うので、いろいろな人たちの思いも全部背負って、五輪という舞台に立てたらいいなと思います」

 桃田は、昨年1月にも再び大きなアクシデントに見舞われた。マレーシア遠征中の交通事故。右眼窩(がんか)底骨折を負い、2月上旬に手術を受けて、40日以上も練習から遠ざかった。競技人生だけでなく、命も脅かされた経験は、人生観にも大きな影響を与えた。

 「いつ、何が起こるか分からない。あの時ああしていればよかった、ということがないように生活しなければいけないな、と本当に感じるようになりました。プレーしたくてもできない、ベッドの上に寝たきりという状況があったので、(2月末に)練習再開できた時に本当にバドミントンが好きだと感じた。いろいろな人に支えられていると思ったし、価値観を再確認できました」

 「感謝」や「諦めない姿勢」。これまでも度々使ってきた言葉も、事故の経験を踏まえ、深みや思いの強さが増していると自覚する。

 「年を重ねるごとに自分の中でも感じるものが変わってきて、経験値が積み重なってきている。どんどんいい方向に、自分の経験値の積み重ねで、その気持ちも増えていっているのかなと思いますね」

 2月末の練習再開から、順調に復活の道のりを進んできた。コロナ禍で3月末~10月上旬の海外ツアーが中止または延期に。腰を据えた練習期間が与えられたことで、ウェートトレーニングを始めとした体づくりにより、課題とする攻撃力の強化に手応えを深めた。

 「攻撃力を高めるには、筋力アップは絶対的に大事だと思っていた。試合続きだとなかなかウェートトレーニングもできないけど、今は計画的に取り組めて、体づくりはしっかりとできていると感じます。実際に筋量も上がっているし、スマッシュスピードも上がっているので、成果は出ていると思います」

 19年シーズンは、年間歴代最多となる11の国際大会を制覇。昨年11月にはギネス世界記録にも認定された。それまでも十分に強かった桃田は、事故とコロナ禍の逆境を経て、さらにレベルアップを果たした。昨年10月の国際大会初戦、デンマークOP(オーデンセ)はコロナ禍を考慮して参加を見送ったが、今後は国際大会も本格的に再開される。

 「不安な部分はないですね。うん、まぁ、いや、若干あるかな(笑い)。(自分が)とんでもなく強くなっているかもしれないし、もしかしたら毎日練習できているけど、(世界からは)とんでもなく置いていかれている可能性もありますし。そこはちょっと不安な部分もありますけど、試合が開催されて、ハイレベルな羽根を打ち合うのはきついと思うけど、本当に緊張を高められるのは楽しみです」

 一抹の不安は、これから勝利が消し去るだろう。五輪本大会まで、あと半年余り。19年のように白星を積み重ねていった先に、感謝の思いが詰まった金メダルが必ず待っているはずだ。

 ◆男子シングルスの五輪勢力図

 桃田のライバルとなりそうなのは、世界ランク6位のギンティン(インドネシア)や、18年世界選手権銀メダルで同9位の石宇奇(中国)。ともにスピードを生かした攻撃に定評がある。同3位のアントンセン(デンマーク)は、昨年10月の国際大会再開初戦のデンマークOPで優勝するなど、成長著しい23歳。試合を映像でチェックした桃田も、「強かった。終始冷静にラリーしてチャンスを待ち、球回しの精度もすごく高い感じがした」と、警戒を強めた。

 40分間のインタビューでは、桃田がスポーツ自体の価値や力にも考えを巡らせる場面があった。「一体感というか、元気だったり、パワーだったり、失敗した時の悲しさだったり、悔しさも共有できる。マイナスなことが起きたとしても、皆で共有できて、皆の心に残るプレーができたとしたらプラスになる」。勝者が観客を勇気づける姿をつい想像しがちだが、敗者にもそっと思いを寄せる桃田の視点が温かかった。いくつもの逆境を乗り越え、世界を制した第一人者ならではの境地だろう。

 コロナ禍の先行きは不透明。スポーツの価値を示す五輪開催自体に、懐疑的な声が上がっていることにも話題は及んだ。震災と事故を経験しただけに、「スポーツの力は偉大だとしても、命には絶対に代えられない。正直、五輪は開催してほしいですけど、やむをえない場合は仕方ないと思います。もし開催された場合は、ネガティブなニュースを全部飛ばせられるような大会にできたら」。命の尊さを重んじる信念を抱きつつ、感謝を示す場としての東京大会を静かに待つ覚悟が画面越しに伝わってきた。(バドミントン担当・細野 友司)

 ◆桃田 賢斗(ももた・けんと)1994年9月1日、香川・三野町(現・三豊市)生まれ。26歳。2012年世界ジュニア選手権優勝。15年世界選手権で3位となり、男子シングルスの日本勢で史上初のメダルを獲得。16年4月に違法賭博問題による無期限出場停止処分を受け、17年5月に試合復帰。18年から日本代表にも復帰し、同年から世界選手権2連覇。175センチ、68キロ。

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