◆フィギュアスケート 全日本選手権 第2日(26日、長野・ビッグハット)
男子フリーは今季初戦のショートプログラム(SP)で首位に立った羽生結弦(26)=ANA=が215・83点、合計319・36点をマークし、5年ぶり5度目の優勝を飾った。和テイストの新プログラム「天と地と」で戦国の最強武将、上杉謙信をノーミスで演じ上げた。今大会は2022年北京五輪の枠取りがかかる来年3月の世界選手権(ストックホルム)代表選考会を兼ねており、優勝者の羽生は代表に決まった。
両腕を伸ばし、天を見つめたまま、羽生はしばらく動かなかった。「戦い抜けたな」。さまざまな思いをかみしめた。「無敵の軍神」とも称される上杉謙信を完璧に演じ上げると勝利を確信し、人さし指を掲げた。「去年だいぶ悔しかったんで。リベンジできて良かった」。国際スケート連盟(ISU)非公認ながら、自己ベスト212・99点を上回る215・83点をたたき出し、合計319・36点は今季世界最高得点だった。
両腕を胸の前でクロスした独創的なポーズから、決戦は幕を開けた。「自分の中では天と地と人、もしくは自分、羽生結弦。みたいなイメージ。ここ(腕のライン)って天と地の間で、ここにオレがいるんだぞというような意味をつけた」。冒頭のループを含む3種類4本の4回転はすべて出来栄え点(GOE)3・60点以上を引き出した。表現を評価する演技構成点は、初戦から各項目で10点満点をつけるジャッジが続出した。
大河ドラマ「天と地と」を選曲したのは羽生だった。思い入れが強く、曲を聴けば瞬時に感情が入る。昨季はGPファイナル、全日本選手権で2位に敗れた。「自分が成長していないんじゃないか。だんだん戦えなくなっているんじゃないか」。思い悩んだことがあった。「戦うことに疲れた」とさえ思った。そんな時に自身と戦国の最強武将、上杉謙信を重ねた。犠牲と葛藤、戦いの美学。「試合で得られる達成感があるからこそ、乗り越えることができる苦しみが好き」。新しい境地に至った。
しかし今年、世界は変わった。コロナ禍で、人知れずもがいていたことを打ち明けた。拠点のカナダに戻れずコーチ不在、一人での練習が続いた。「どん底まで落ちた。自分がやっていることが無駄に思えた」。練習内容も演目の振り付けも自分。「そもそも4回転アクセルって跳べるのか?」と自問自答もした。「一人だけ暗闇の底に落ちていく感覚の時があった」。入ってくる他の選手の情報に焦りを覚え、取り残されている気になった。
助走なしで跳べる得意のトリプルアクセルさえ、10月末まで跳べなくなった。「一人でやるのやだな。もう一人でやるのやめよう」。そんな時は「春よ、来い」「ロシアより愛を込めて」といった以前のプログラムを滑った。「スケートが好きだな」。感情が動くのが分かった。これまでも幾度となく、逆境を乗り越えてきた王者は、経験を頼りに闇を脱した。
大一番を終えた今は、来年3月の世界選手権に全集中する。悩んだ末の今回の出場。「もし世界選手権があるのであれば、そこに少しでも近づいておかないと、今後に向けて難しいなという思いがあった。暗い世の中で、自分自身がつかみとりたい光に手を伸ばしたという感じ」。17年以来4年ぶり3度目の天下取りへ、羽生は前に進む。(高木 恵)
◆世界選手権の代表選考基準 3枠を持つ男女シングルは全日本選手権の優勝者が最優先で決まる。2枠目は全日本2位、3位やGPシリーズで表彰台に立った中で上位2人、全日本終了時の世界ランク上位3人のいずれかを満たす選手から総合的に判断。3枠目はここで漏れた選手やGPシリーズで出した得点の上位3人などの候補から選考する。1枠のアイスダンスは全日本優勝組とGPシリーズ出場組の中から総合的に判断する。
◆「天と地と」 1969(昭和44)年に放送されたNHKの大河ドラマ。川中島で戦った上杉謙信(石坂浩二)と武田信玄(高橋幸治)の両名将の対比を中心に、戦国の動乱の時代を背景にした人間模様を描いた。原作は海音寺潮五郎氏、脚本は中井多津夫氏と杉山義法氏、音楽は冨田勲氏が担当した大河ドラマ初のカラー作品。
◆VS武田信玄の地八幡社で参拝増
〇…今大会の会場となったビッグハットは、羽生が15年のNHK杯でSP、フリー、合計で世界最高得点を記録し、優勝した場所。約4キロ離れた所に、上杉謙信と武田信玄の激闘で有名な川中島古戦場がある。2人の一騎打ちの巨大な像がある八幡社は、羽生が演目を発表した直後から参拝客が増加。特に謙信公の強運守が人気になっており、新たな聖地となりそうだ。