【箱根への道】国士舘大、31年ぶりシード返り咲きへ曽根雅文がカギ…89年早大で9区8位“父超え”にも照準

活躍を誓い大きくジャンプする(左から)国士舘大の山本、加藤、曽根(カメラ・中島 傑)
活躍を誓い大きくジャンプする(左から)国士舘大の山本、加藤、曽根(カメラ・中島 傑)

 第97回箱根駅伝(来年1月2、3日)で、5年連続出場の国士舘大は、1990年大会以来のシード権(10位以内)獲得を目指す。歴代3位のブランク記録となる31年ぶりの悲願に向け、カギを握るのが曽根雅文(4年)だ。前回はチームで日本人唯一の1ケタ順位となる区間9位(6区)の好走で、8年ぶりに最後までタスキをつなげた。予選会は、絶対的エースのライモイ・ヴィンセント(3年)に次ぐ走りで、チームの5位通過の原動力となった22歳は、父も駆け抜けた大舞台で躍動する。

 今回も復路で好発進を決め、チームの起爆剤になる。曽根は前回大会、最下位で折り返した6区を区間9位で駆け抜けた。チームは19位に終わったが8年ぶりにタスキを最後までつないだ。2年連続の山下りが濃厚で、「(勝負は)最初の上りとラスト3キロ。最後に絞り出せれば」と、戦略を力強く語った。

 ラストスパートには「自信がある」と言い切る。周回コースで争った10月の予選会は、最終1・0975キロを完走者541人中3位の3分7秒で走った。添田正美監督(43)からも、「往路は耐えて復路勝負。前回より速い記録を期待している」と、信頼は絶大。曽根も「6区は自分しかいない」と、自負を口にする。

 最後の箱根路は、父への感謝も込めて走る。横浜市出身で、実家から「走って10分」の距離にあるのが9区のコース。箱根駅伝に3回出場した父・宥泉(ゆうせん、当時の名前は雅史)さん(55)が、早大4年時の89年大会を区間8位で駆けた道だ。寺の住職を務める父は、「普段は表情に出さない人」だが、前回大会の好走には大興奮。中継所で大喜びする姿は、「声が上ずって、新鮮だった。うれしかった」と、忘れられない。

 今年は新型コロナ禍の影響で3~8月は各自練習となり、実家に帰省。大会の延期や中止に、「なぜ自分たちの代に…」と落ち込んだ。それでも、父が走った9区の歩道を走り込むことで気持ちを保った。今でも相談に乗ってくれ、「陰のコーチ」という父が喜ぶ姿を再び見るため、足を止めるわけにはいかなかった。

 大学生活では“山”を越えた。エントリー選手は体育学部生が中心だが、曽根は唯一の政経学部生だ。偏差値は国士舘大で最も高く「勉強が大変」と話すが、卒業に向けての単位取得状況は順調。文武両道の成果に、「4年間できたことは誇り」と、箱根に全集中できている。

 チームは直近4大会は18位以下と低迷中。目標のシード権からは90年大会以降、遠ざかっている。「自分が失敗できないし、6区の走りが大事。意地の走りをしたい」。歴代3位のブランク記録となる31年ぶりシード返り咲きへ―。親子をつなぐ箱根路で集大成の走りを見せる。(竹内 夏紀)

 ◆曽根 雅文(そね・まさふみ)1998年7月31日、横浜市生まれ。22歳。南小4~6年は野球部。南が丘中で陸上を始め、横浜高を経て国士舘大政経学部経済学科入学。3年時に初の箱根駅伝で6区9位。自己記録は5000メートル14分9秒30、1万メートル29分53秒22。好きな食べ物はラーメン。DeNAファン。170センチ、54キロ。家族は両親と妹2人。父・宥泉さんは87~89年大会に出場し、現在は実家・西光寺の住職。

 ◆国士舘大 1956年に陸上競技部創部。箱根駅伝は57年に初出場。総合最高成績は64、67年の3位。男子長距離部員は選手71人、学生スタッフ10人。タスキの色は赤と青。主な大学OBは、ロサンゼルス、ソウル五輪柔道男子95キロ超級金メダルの斉藤仁氏(故人)、アテネ五輪柔道男子100キロ超級金メダルの鈴木桂治氏、陸上男子十種競技リオ五輪代表の右代啓祐。

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