川崎の元日本代表MF中村憲剛(40)の引退セレモニーが21日、本拠地・等々力競技場で行われた。川崎で共にプレーした東京VのFW大久保嘉人(38)らOB選手も駆けつけたなか、現役18年間を川崎一筋でプレーしたクラブの象徴は、「川崎フロンターレに入れてよかった」と感謝した。元日本代表監督のイビチャ・オシム氏(79)は、中村の引退に際してスポーツ報知に独占メッセージを寄せた。
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現代サッカーで必要とされるタイプの選手、それが中村憲剛だ。欧州の強豪チームも彼のような選手を求めている。サッカーをよく知っており、しかも努力家。技術面も、よく訓練されている。私が日本代表監督だった時、憲剛がもう1人いたら、もっとよいチームになっていたかもしれない。
強く印象に残っているプレーがある。アウェーのインド戦(06年10月11日、3〇0)で、すごいゴールを決めた。グラウンド状態が悪く、他の選手が思い切ってプレーするのをためらうような状況で、勝利をたぐる寄せる3点目をロングシュートで決めた。私が彼に期待していたのはシュートではなく、パスなど試合をオーガナイズすることだったので、こんなシュートも打てるのかと驚いた。
彼の最大のストロングポイントはアイデアが豊かなこと。攻撃を組み立てるプレーメーカーとして、ファンタジスタとしての能力である。私はそこを評価していた。フィジカル的には鉛筆のような細い体で、まともに当たられたら吹っ飛ばされる。もう少し筋肉があれば違ったタイプの選手になっただろうが、そうしたハンデを補うのがアイデアだった。もちろん、技術も素晴らしかった。左右両足でプレーでき、パスの正確さや闘争心も備えていた。
人間的にもしっかりしていた。先発から外れてベンチにいる時も、しっかり試合に集中し、チームは何ができていないかを考えていた。だから交代出場して、すぐに局面を変えることができた。
引退した後もサッカーに携わってほしい。指導者になることを考えているかもしれないが、プロの監督は簡単でも楽でもないことを知っておいた方がいいだろう。責任は重く、負ければ監督のせいにされる。あらゆる重荷を背負っている。
サッカーのあれこれの知識よりも、むしろ人間をよく見る能力が重要だ。他人を評価し、リスペクトする。サッカー以外のスポーツや、社会や科学のトレンドなどに視野を広げる。つねに進歩しようと努力する。人間(選手)は、時に他人を嫉妬する存在だと理解することも必要である。
それでも、監督は他と比べられない喜びがある。試合に勝った時もそうだが、それよりも練習を繰り返して、プレーがうまくいった時、また選手が成長したと感じた時だ。その時、肩の荷は少しだけ軽く感じる。
そんな大変な指導者への道を進みたいというのならアドバイスがある。オランダやイングランドなど強豪国で、トレーニングをよく見てきたらいい。日本では見られないものがある。最新のトレーニングメソッドはもちろん、戦術の基礎には「走る」ことがあると分かるだろう。トレーニングから激しい真剣勝負がある。
選手が思い切ってプレーするためには監督が怖がられていてはいけない。選手からリスペクトされる方がいい監督かもしれないが、ミスを叱ってばかりでは選手は萎縮(いしゅく)する。叱られないためにプレーするようでは、積極的なプレーや相手が驚くようなアイデアは生まれない。そういうものを現場で見て学んでほしい。(元日本代表監督)
◆イビチャ・オシム 1941年5月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)のサラエボ生まれ。79歳。90年イタリアW杯で旧ユーゴスラビア代表を指揮し、8強に導く。2003年に市原(現千葉)の監督に就任し、05年ナビスコ杯(現ルヴァン杯)で優勝。06年7月、日本代表監督就任。07年11月に脳梗塞(こうそく)で倒れ、同12月に退任した。
◆オシム監督と憲剛 06年ドイツW杯後に、オシム氏は日本代表監督に就任。就任5試合目となった10月4日のガーナとの親善試合(日産ス)に向けたメンバーに憲剛を初招集。その試合で代表デビューさせると「海外の選手に匹敵する」と絶賛。「考えて走るサッカー」を体現する選手として、07年末に脳梗塞で倒れて退任するまで継続的に招集。憲剛も「オシムさんがいなかったら今の自分はない」と感謝している。