【記者が悼む】林家こん平さん、どんな時もサービス精神の塊

ホームグラウンドの上野・鈴本演芸場でおどける林家こん平さん(1991年)
ホームグラウンドの上野・鈴本演芸場でおどける林家こん平さん(1991年)
林家こん平さんの歩み
林家こん平さんの歩み

 日本テレビ系「笑点」の初代大喜利メンバーとして知られる落語家の林家こん平(はやしや・こんぺい、本名・笠井光男=かさい・みつお)さんが17日午後2時2分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去していたことが21日、分かった。77歳だった。葬儀・告別式は19日に近親者で営まれた。こん平さんは2004年8月に病に倒れ、翌年7月に難病の「多発性硬化症」であることを公表。再び高座に上がることを夢見ていたが、願いはかなわなかった。

 どこまでも明るい人だった。2004年に池袋演芸場の楽屋で「健康法」について取材した時だった。「ガソリンと薬以外なら何でも飲む。お酒は浴びるほど飲みます」「何でも食べますが、ストレスは食べたことがないですね」。豪快に笑っていた。

 取材を終えて客席に回ると、高座に上がったこん平さんと目が合った。「今日は報知新聞の高柳さんの取材を受けました。あそこにいらっしゃいます」と私を指さすと「どうぞ報知新聞を買ってください」と“宣伝”をしてくれた。

 サービス精神の塊であるとともに、さりげない気遣いをする人だった。紙面になると、すぐさまお礼のハガキが届いた。また、弟子の2代目・林家三平から聞いたことがある。前座修業中に迎えた誕生日。当時、いっ平と名乗っていた2代目・三平が師匠宅から帰ろうとすると、こん平さんは「持っていきなさい」と一言。見ると玄関脇に「ポチ袋」が置かれていたという。

 その後、多発性硬化症で長く苦しい闘病とリハビリを行いながらも、何度となくイベントに登場。車イスに乗りながらも飛び切りの笑顔で、「チャラ~ン」を叫び続けた。どんな時も、こん平さんの笑顔の周りに、多くの人の笑顔が広がっていた。それが芸人・林家こん平の姿だと思っている。(高柳 義人)

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