【ヒルマニア】1973年、ヤクルト・三原監督はDH制に賛成していた

スポーツ報知
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 セ・リーグで来季からの指名打者制が見送られた。1973年ア・リーグでスタートしたDH制、実は同年のセ・リーグ監督会議で活発な議論があったことをあまり知られていない。野球取材48年のヒルマニアこと蛭間豊章記者が当時を振り返った。

 指名打者制(DH)を巡っては過去にも球界で活発な議論が交わされてきた。1973年にメジャーのア・リーグが3年間の期限付きで採用。同年の開幕前にセ・パ両リーグとも監督会議での議題に上がっている。75年からパ・リーグが採用することになるが、1月に開催したパの会議ではほとんどの監督が「現状では疑問がある」と反対していた。

 2月に行われたセ・リーグの会議は議論が伯仲した。西鉄で3連覇を果たしていた当時のヤクルト・三原脩監督は「ルールを変えれば、これまでにない作戦が生まれてくる。野球はもっと面白くなる」。60年の大洋(現DeNA)の日本一の際には、予告先発がない時代の偵察要員の起用や、ワンポイントで投手を一時的に一塁や外野などに就かせるなど、奇策にもたけていた名将らしい賛成理由だった。

 一方、「もし投げるだけ、打つだけという制度を認めたらどうだろう。一つしかできない選手が続々と出てくる。それを高校生がまねたら、それでは野球は発展しません」との反対意見も出ている。監督会議に出席した中では阪神・金田正泰、大洋・青田昇両監督が三原監督の発言に同意していたという。

 この会議でオープン戦でのDH制が両軍監督の合意で採用OKとなったため、3月2日からの太平洋(現西武)・広島3連戦で試験的に採用。初戦で広島の深沢修一外野手がDHに座って2ランを放ったこともあり、観戦したファンからは「野球は点が入らないと面白くない。そういう意味で大賛成」などの声が上がるなどおおむね好評だった。

 2年後にパ・リーグが採用したことで、“老舗”を自負していた当時のセ・リーグは、パ・リーグに先を越されたことと、当時は日本シリーズでも優勢だったこともあって、DH制採用は長く“封印”となっていった。(ベースボール・アナリスト)

 

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