「電線音頭」「しらけ鳥」小松政夫さん、死去 喜劇人であることに誇り 昭和、平成、令和を駆け抜けた

テレビ朝日系「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で「しらけ鳥音頭」を歌う小松政夫さん
テレビ朝日系「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で「しらけ鳥音頭」を歌う小松政夫さん

 「しらけ鳥音頭」や「知らない、知らない」などのギャグで親しまれたコメディアンの小松政夫(こまつ・まさお、本名・松崎雅臣=まつざき・まさおみ)さんが7日午前6時45分、肝細胞がんのため東京都三鷹市の病院で死去した。78歳。福岡市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は妻の松崎朋子(まつざき・ともこ)さん。俳優としても活躍し、映画「駅 STATION」、ドラマ「前略おふくろ様」などに出演した。

 「電線音頭」「しらけ鳥」などでお茶の間を沸かせた希代のコメディアンが、静かに天国へと飛び立った。

 小松さんのマネジャーによると、体調に異変が生じたのは昨年11月頃。芸能生活の集大成と位置づけた舞台「『うつつ』小松政夫の大生前葬」で、往年の名コメディアン「小松政夫」を自ら演じ、千秋楽まで務めあげた直後だった。人間ドック受診後、精密検査を勧められ、肝細胞がんが発見された。

 その後、抗がん剤治療を行い、入退院を繰り返したが、最後まで仕事への意欲は衰えなかった。今年9月に上演予定だった舞台が新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となり落胆していたが、来年の上演を模索するなど、最後まで「板の上に立つ」ことを諦めていなかった。

 11月14日に再入院した時も、仕事の心配をしていた。入院直前、マネジャーが電話で「気をつけて」と声を掛けると、ハリのある声で「分かったよ」と答えたが、その後、退院はかなわなかった。コロナ禍のためお見舞いなどが制限されていたが、最後は妻や子供ら家族にみとられ、静かに息を引き取ったという。

 小松さんは俳優を夢見て福岡から上京。自動車販売のトップセールスマンを経て、人気グループ「クレージーキャッツ」の植木等さんの運転手兼付き人に。バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」でコメディアンとしての第一歩をしるした。植木さんの代表ギャグ「お呼びでない?こりゃまた失礼しました!」は、小松さんが植木さんの出番の時間を間違えて呼びに行ったことから生まれたギャグと伝えられている。

 1968年にデビューすると、伊東四朗(83)との名コンビで70年代のお茶の間を沸かせた。テレビ朝日系「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(76年10月~78年3月)では「しらけ鳥音頭」「電線音頭」が大ヒット。TBS系「笑って!笑って!60分」(75年4月~81年3月)での「小松の親分」コントとともに当時の子供たちがマネする社会現象となり、「表彰状~、あんたはエライ」など多くのギャグを残した。

 軽妙洒脱(しゃだつ)なコメディアンとして活躍する一方、俳優としても存在感を見せた。映画「居酒屋兆治」「駅 STATION」やドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」「ハケンの品格」など、いぶし銀の演技で新境地を開いた。

 それでもコメディアン、喜劇人であることに誇りを持って生き抜いた。2011年から日本喜劇人協会の会長を務め、後進の指導とともに協会の行く末を気にかけていた。昭和、平成、令和を駆け抜け、日本の芸能史に大きな足跡を残した。

 〇…小松さんの最後の出演作となった映画「めぐみへの誓い」(来年2月19日公開)の野伏翔監督はフェイスブックに「ショックで言葉もありません。この映画が遺作になってしまいました。素晴らしい俳優、先輩であり、人間的にも優しさにあふれた人でした。本当に残念でなりません!」と書き込んだ。北朝鮮による横田めぐみさん拉致事件を描いた映画で、小松さんは印刷会社の社長役を演じていた。

 ◆小松 政夫(こまつ・まさお)本名・松崎雅臣。1942年1月10日、福岡市生まれ。19歳の時に役者を目指して上京。俳優座の試験に合格も、入学金が払えず断念。さまざまな職を経て横浜トヨペットのトップセールスマンになった後の64年、クレージーキャッツ・植木等さんの運転手兼付き人に。コメディアンとしてのテレビデビューは日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」。伊東四朗との「電線音頭」や映画評論家・淀川長治さんのモノマネなどで人気に。俳優としても数々の作品に出演。2011年から日本喜劇人協会の会長を務める。

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