ブレイクダンス世界王者・大柳豆勇也さんの夢は「このスタジオから五輪選手」…現在はダンススタジオ経営

HSEスタジオに通う生徒たち
HSEスタジオに通う生徒たち
15年Battle Of The Year World Finalで日本人初優勝を果たした大柳豆さん
15年Battle Of The Year World Finalで日本人初優勝を果たした大柳豆さん

 24年パリ五輪でブレイクダンスが初採用されることが7日に決まった。浜松市でダンススタジオを経営する大柳豆(おやいず)勇也さん(30)は、15年に世界最大のブレイクダンス大会「Battle Of The Year World Final(BOTY)」を日本人で初制覇した経験を持つ。現在は指導者として五輪に向けた選抜チームを育成している。ブレイクダンスと五輪への思いなどを語った。

 指導に熱がこもる。浜松市中区のダンススクール・「HSE STYLE」を経営する大柳豆さんは、ブレイクダンスの五輪採用をにらみ、約1年前から中高生を中心とした12人の「YU―YA選抜」チームを編成した。ダンサーとしても活躍しており、テレビ番組の「モニタリング」(TBS系)などにも出演。芸能活動の拠点である東京と浜松を往復する日々を送るが「今の目標は、このスタジオから五輪選手を出すことです」と言い切る。

 五輪採用を「フィギュアスケートのような芸術性と、1対1で戦うボクシングのような熱さを持った競技だと思っている。五輪を通じて世界中の人にブレイクダンスを知ってほしい」と“第一人者”として喜ぶ。6歳からHSEに通う山口真和士(まなと)さん(聖隷クリストファー高2年)も「30秒とか1分の中に今までの努力が詰まっているのがブレイクダンスの魅力。今まで大きい目標がなかった。絶対に五輪に出たいです」と目を輝かせる。

 「浜松から世界」にこだわる。大柳豆さんがブレイクダンスを本格的に始めたのは中学2年。「みんなには『浜松にいたらできるわけないじゃん』と言われ続けた。自分は人も気候も良い浜松に愛着があった」。毎日10時間、ビデオテープを参考に独学で練習し世界のトップダンサーに上り詰めた。「ここにいる子どもたちには世界一になった先生とスタジオがある」と笑顔を見せる。

 浜松学院大卒業後、1度は磐田市のJA(農業協同組合)に入社した。「安定を求めて入りましたが、世界一になる夢を諦められなかった」。入社式の3日後、会社講堂に重役らを集め「今から見せるものがすごいと思ったら辞めさせてください」とダンスを披露。拍手喝采を受け、その日に辞表を提出した。

 ◆ブレイクダンスQ&A

 Q どうやって競技を行う?

 A ステージ上で曲に合わせて2選手が30秒~1分の演技を交互に繰り返す。

 Q どんな曲? どんな服装?

 A 曲のジャンルに制限はないが、1970年代に生まれたヒップホップ文化が背景にあるため、ヒップホップ・ミュージックが多い。服装は特に規定はない。オーバーサイズの服を着る選手が多い。

 Q 優勝者が決まるまでの過程は?

 A ノックアウト方式のトーナメント戦。18年のユース五輪は男女計24人が参加した。

 Q どんな技がある?

 A 主に〈1〉トップロック(立った状態の踊り)〈2〉フットワーク(かがんだ状態の踊り)〈3〉パワームーブ(回ったり跳ねたりする動き)〈4〉フリーズ(体を止める動作)の4つに分けられる。

 Q 採点項目は?

 A 国内大会では「技術」「表現」「構成/完成度」「バトル」の4項目をそれぞれ10点満点で評価。「バトル」は相手のダンスへの反応や戦術性を見る。審査員は3人か5人で構成されることが多い。

 Q 種目は?

 A 大会によって異なるが18年ユース五輪は「男子個人」「女子個人」「男女混合」の3種目。10人以上で編成したチームによる団体戦を行う国際大会もある。

 Q どんな大会がある?

 A 「Battle Of The Year」を含む「世界4大大会」に加え、19年から世界選手権と全日本選手権が始まった。

 ◆大柳豆 勇也(おやいず・ゆうや)1990年9月1日、浜松市生まれ、30歳。与進中2年時に本格的にブレイクダンスを始め、興誠高(現・浜松学院高)2年時に「DANCE ATTACK東日本」優勝。得意技は上半身を地面に付けて両足を開いて回転するウィンドミル。175センチ70キロ。家族は両親と姉、兄。

HSEスタジオに通う生徒たち
15年Battle Of The Year World Finalで日本人初優勝を果たした大柳豆さん
すべての写真を見る 2枚

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請