吉本新喜劇元座長の船場太郎さん、死去 「せん、ばたろうです」もう聞けない…

1991年3月、大阪市議選に立候補した船場太郎さん(右)。左は応援に駆けつけたチャーリー浜
1991年3月、大阪市議選に立候補した船場太郎さん(右)。左は応援に駆けつけたチャーリー浜

 吉本新喜劇元座長で、大阪市議としても活躍した船場太郎(せんば・たろう、本名・松原昌平=まつばら・しょうへい)さんが27日、死去した。81歳だった。新喜劇では少数派の二枚目座長で、「せん、ばたろうです」のギャグで人気を博し、1970、80年代の舞台を盛り上げた。昨年亡くなった山田スミ子さん(享年73)、木村進(博多淡海)さん(同68)に続き、また一人、主演スターが天国に旅立った。

 大阪市の市会事務局によると、市議OBの船場さんがこの日に亡くなったと連絡が入った。遺族の意向で葬儀・告別式は近親者らで営まれる。昨年5月、後輩の木村さんの通夜には、往年よりもやせ細った様子で出席していた。

 船場さんは1939年11月8日、大阪市旭区生まれ。高校を卒業後、バンドボーイなどを経て、1965年に吉本興業入りした。花紀京さん、岡八郎さん、原哲男さん(いずれも故人)らがいた新喜劇で二枚目スターとして活躍。端正な顔立ちで「浪花のアラン・ドロン」とも形容され、俳優・杉良太郎の姓名の区切り方で「せん、ばたろうです」と名乗り、関西ではすっかり芸名が定着。緊張のあまり、口をすぼめて肩を吊り上げて「クォー!」と奇声を上げるネタでも知られるが、ギャグに頼らず、芝居の流れを大事にする正統派の座長として人気だった。

 吉本興業がマンネリ化打破のために実施した「吉本新喜劇やめヨッかな?キャンペーン」を機に、91年に退団した。同年に大阪市議に立候補して、初当選。03年5月から1年間、大阪市会議長に就任。05年には大阪市長選に出馬する意向を示したが、選挙協力を得られず断念した。市議は6期24年務め、昨年の秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。

 大阪維新の会が提案し、2度目の反対多数で廃案となった「大阪都構想」には常々、「絶対できへん。(大阪市の24区を)再編するというけど、各区の財政力が違うから成り立たへん」と批判する姿勢を見せていた。

 2008年大阪五輪開催を提唱し、大阪市議会の五輪招致特別委員長を務めたことも。北京に敗れ大差で落選しただけに、13年に2度目の東京五輪開催が決定した際には「ええことやと思います」と祝福する一方、「大阪やったら、もっとうれしいけどな」と本音も。「とりあえず2020年まで生きとかなアカン」と話していたが、新型コロナウイルスの影響で東京開催は延期。誘致を夢見た五輪を見ることはかなわなかった。

 ◆新喜劇後輩が追悼

 船場さんの訃報に、吉本新喜劇の後輩が追悼コメントを寄せた。元座長の間寛平(71)は、昨年5月の木村進さんの通夜で会い「体、気いつけてな!」と激励されたという。「お元気なお顔を見られて安心していたのに驚いてます。自分が新喜劇に入った時(1970年)は本当にかわいがってくれはりました。もうお会いできないと思うとすごく残念です」と惜しんだ。

 現座員の池乃めだか(77)は「よく船場兄さんが楽屋で『一緒に囲碁やろう』と声を掛けてくれました。うれしかったことを懐かしい思い出としてよく覚えています。こんな知らせを聞くのは寂しいです」。島田一の介(70)は「何度も飲みに連れていってもらいましたし、芝居のアドバイスをいただき、今の自分の肥やしになっている。もっと長生きしてほしかったな」。内場勝則(60)は「新喜劇と言う動物園の様な強者たちの中で、二枚目の方の笑いの取り方など、たくさんのヒントをいただきました。私もそんなに特徴がないので」と冥福を祈った。

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