ディエゴ・加藤・マラドーナ、本人公認のモノマネで魂継承…実は帝京高10番左利き、中田浩と共にプレー

マラドーナ氏の強烈な左足シュートを再現する加藤(カメラ・矢口 亨)
マラドーナ氏の強烈な左足シュートを再現する加藤(カメラ・矢口 亨)

 サッカー元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナ氏(享年60)が25日に亡くなったことを受け、同氏のものまねで知られるタレントのディエゴ・加藤・マラドーナ(40)が26日、スポーツ報知の取材に応じ、スーパースターを追悼した。昨年4月に本人と対面し、公認を得た加藤は「マラドーナさんの偉大さを伝えていきたい」と、今後のものまね活動に意欲を見せた。

 太い眉に口ひげ。マラドーナ氏のメイクを施した加藤は、写真撮影で豪快な左足シュートや、伝説の“神の手”シーンを見事に再現した。しかし、スーパースターの訃報に接した瞬間を振り返ると、神妙な面持ちで言葉を絞り出した。

 「『えっ…』という驚きですね。『マジか…』と。途方に暮れるとはこういうことを言うのかと思った。遠くを見ながら、徐々に悲しみが襲ってきました」

 サッカー少年だった10歳の頃、マラドーナ氏のプレーを見て憧れた。アルゼンチンが優勝した86年W杯のベルギー戦で、倒れそうになりながら決めたゴールがお気に入りだ。加藤自身も帝京高でMFとして主にトップ下で活躍。10番も背負い、マラドーナ氏と同じ左利きで“和製マラドーナ”の異名を取ったという。先輩に中田浩二、後輩に田中達也と、ともに後に日の丸を背負う選手たちとプレーした。

 順大卒業後は、サッカーではなくお笑いのプロを目指して養成所へ。「マラドーナがファミレスにやって来る」という設定のコントで、ものまねをした。その時に用意した衣装で、約13年前、C大阪のイベントで“ピン芸人”としてものまねを披露し、現在に至る。

 昨年4月には、メキシコでマラドーナ氏本人と会う機会があった。「本当に優しい人で、何度もハグしてくれた。『思い出のゴールを教えてください』と聞いたら、スペイン語で分からなかったけど『ベルギー…』と聞こえて。きっとW杯でのゴールだと思い、うれしかった」と目を輝かせて振り返った。

  • 昨年4月にマラドーナ氏(右)と対面した加藤(コネクト提供)

    昨年4月にマラドーナ氏(右)と対面した加藤(コネクト提供)

 マラドーナ氏に「ものまねをしてもいいですか?」と質問すると、「もちろんだ。頑張ってくれ。楽しみにしているよ」と直接、公認を得たという。「すごく自信になった。ものまねを通じてマラドーナさんの偉大さを伝えていきたいし、子どもたちに夢の大切さも教えたい」と加藤。ものまねでサッカー教室や講演を行う前日は酒を飲まないと決めている。「次の日のコンディションがいいし、肌つやが良くなってメイクのノリもいいんです」と笑顔。これからもストイックに“マラドーナ魂”を継承していく。(竹内 竜也)

 ◆ディエゴ・加藤・マラドーナ 本名・加藤謙太郎。1980年10月31日、横浜市生まれ。40歳。中学時代は横浜Mジュニアユースでプレー。帝京高では全国選手権大会準優勝2回。背番号10もつけた。順大卒業後、お笑いタレントとしてコンビやトリオでの活動を経て、マラドーナ氏のものまねを続けている。身長164センチ、太もも63センチは本人とほぼ同じという。

 平畠啓史(お笑いタレント、大阪・阿武野高サッカー部主将でインターハイ出場)「サッカーの楽しさはもちろんサッカーが自由であることを教えてくれたマラドーナ。いまだに信じられませんが、マラドーナの記憶が消えることは永遠にありません」

 ペナルティ・ヒデ(千葉・市船橋高2年時にレギュラーでインターハイ優勝)「86年メキシコ大会の衝撃は今も脳裏に焼き付いて離れません。マラドーナキングを履いて、舌を出す物まねをしながらフリーキックの練習をしたものです。僕の永遠のアイドルでした」

マラドーナ氏の強烈な左足シュートを再現する加藤(カメラ・矢口 亨)
昨年4月にマラドーナ氏(右)と対面した加藤(コネクト提供)
すべての写真を見る 2枚

芸能

宝塚歌劇特集
NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請