木内幸男さん評伝…ナイン猛反発のボイコット騒動も全国制覇への策略 甲子園期間中に海水浴も

84年8月、茨城県勢初の甲子園優勝を果たし凱旋した取手二高ナインと木内監督(手前)
84年8月、茨城県勢初の甲子園優勝を果たし凱旋した取手二高ナインと木内監督(手前)
木内幸男氏の歩み
木内幸男氏の歩み

 取手二、常総学院を率い、春夏通算3度の甲子園制覇を果たした木内幸男(きうち・ゆきお)氏が24日、肺がんのため茨城・取手市の病院で死去した。89歳だった。11年夏の大会を最後に常総学院の監督を勇退。その後は同校を陰からサポートしていた。“木内マジック”としてファンに愛された用兵の一端を加藤弘士デスクがつづり、故人を悼んだ。

 高校野球の監督にとって、一番大事なことは何ですか。そんな私の問いに、木内さんは語気を強めてこう言った。

 「子供たちをいかにその気にさせられるか。それに尽きるんですよ」

 2年生のKKコンビを擁するPL学園を撃破し、茨城県に初の優勝旗をもたらした84年夏もそうだった。全国制覇から2か月前、取手二はボイコット騒動に揺れていた。

 春の関東大会で初戦サヨナラ負けを喫したナインに、木内さんは「1週間練習しなくていい。頭冷やせ」と命じた。ほとんどがツッパリ男子たち。放課後は映画を見に行ったりと遊びまくった。全員集合すると、木内さんは言った。「レギュラーに休みをやるとは言ったが、補欠にやるとは言ってねえ。補欠は今すぐ辞めろ。クビだっぺよ」

 理不尽過ぎる言葉にナインは猛反発。1週間のボイコットを決断した。

 空白の2週間を経て、チームは再始動。全体練習も行われず、わだかまりも消えない中、PL学園との招待試合に臨んだ。0―13で1安打完封負け。取手二は全員3年生。下級生のKKに負けたことは、血気盛んなワルにとって最大の辱めだった。翌日からナインは結束。甲子園はおろか、秋の国体まで全て勝った。

 「全て木内さんの策略。高校生がどうすれば発奮するかを、先回りして考えることが上手な人。うまく料理していただいた」。当時の正捕手だった中島彰一さんの証言だ。

 「のびのび野球」も勝つための最善策だった。その夏の甲子園初戦の相手は強豪・箕島。木内さんは「勝ったら海水浴に行くぞ」とハッパをかけ、やる気を引き出して3点差逆転勝ち。実際に期間中、ナインは海水浴を楽しんだ。「練習中は水を飲むな」が常識の時代、宿舎のおけには缶ジュースがたっぷり入り、飲み放題だった。選手たちは球場での試合前、水代わりにリポビタンDを4~5本おかわり。ファイト一発と言わんばかりに勝ち進んだ。

 ワンポイントリリーフに、常総での複数投手制。先発完投が美徳だった高校球界へ、勝つために新たな戦術を持ち込んだ。「練習しても勝たなきゃ意味がない」「負ける試合から得るものは一つもない」。勝利を希求したリアリストであり変革者。80代後半になっても、新入部員へ熱心に助言を送っていた姿を、忘れない。(加藤 弘士)

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