【巨人VSホークス激闘史】〈3〉73年堀内3戦2勝2発独り舞台「MVP? 私しかいないでしょう」

スポーツ報知
1973年の日本シリーズ第3戦。堀内(右)は先制アーチを放ち、負傷で欠場して一塁コーチだった長嶋の祝福を受けた

 巨人の9連覇のスタートは1965年。前年日本一の南海と激突したが、この年、国鉄から巨人入りした金田正一が「夢にまで見た」シリーズ初出場に燃え、第1、3戦で勝利投手。公式戦(レギュラーシーズン)で救援19勝含む20勝した“8時半の男”宮田征典も3試合8イニングを3安打無失点で2勝した。

 打っては63年に初のシリーズMVPとなった長嶋茂雄が、第2戦の延長10回に決勝2ラン、第3戦は先制2ランとダメ押し打、第5戦には同点打の活躍で打率3割8分1厘、6打点で2度目の栄誉。公式戦は最終日に打率3割にやっと滑り込むほどだっただけに、賞品の高級車にまたがって「うれしくて泣きたいぐらいだ」と声を詰まらせた。一方、南海の4番は公式戦で3冠王の野村克也。こちらは18打数5安打(1本塁打)2打点と対照的だった。

 翌66年のシリーズ第2戦、巨人はデビュー13連勝の堀内恒夫を先発に抜てき。18歳9か月の右腕は初回に味方の失策から4番野村に先制二塁打を浴び、3回0/3を2失点で敗戦投手。当時の巨人は選手層が厚く、その後、登板機会はなかった。第1、3戦と白星を挙げた城之内邦雄が第5戦、同点の9回に2番手で登板。延長14回表に勝ち越し、その裏を抑えれば3勝目でMVPか、と思われたが、64年にもサヨナラ弾を放っているハドリに逆転サヨナラ2ランを浴び、消滅した。

 第6戦で先制アーチを放った柴田勲が打率5割6分5厘と当時のシリーズ新記録で受賞。彼がユニホームの尻ポケットに入れていたお守り袋の中身は、51年に打率の記録を作った南村侑広コーチが兵役に付けていた北支派遣軍の中隊長章だったという。

 73年の巨人は阪神との最終決戦に勝ってリーグ9連覇を達成。一方の南海は2シーズン制で強豪・阪急とのプレーオフ最終戦を制して7年ぶりのシリーズ出場となった。巨人ではシリーズ4度MVPの長嶋が終盤戦に薬指骨折で離脱。初戦に敗れ痛手かと思われたが、堀内がバットでも大暴れ。第2戦の7回、無死満塁でリリーフし、犠飛で同点にされたものの11回まで無失点。11回表には自ら決勝打を放った。

 第3戦では稲尾和久に並ぶシリーズタイ記録の通算11勝目。3回に先制アーチを放つと6回にも2ランと、シリーズ史上初の投手で2本塁打。この年、初の3冠王に輝いた王貞治は「やりにくいったらありゃしない。どうしてくれるんだ」とあきれ顔だった。シリーズはそのまま4連勝でシリーズ9連覇、堀内が2年連続MVPとなった。 蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)

 堀内恒夫氏(スポーツ報知評論家)「1973年の2戦目、倉田誠さんをリリーフして好投、決勝打も打った。調子に乗ると止まらない性格だから、波に乗るよね。3戦目は先発して完投。ホームランを2本打った。とどめは5戦目、倉田さんをリリーフして胴上げ投手。結局、あの年は3人の投手で勝った。MVP? 私しかいないでしょう(笑い)。シーズン12勝17敗の不振を挽回したシリーズ。忘れるわけがないよ」

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