坂田藤十郎さん死去…歌舞伎界重鎮 人間国宝 妻は扇千景

老衰のため亡くなった坂田藤十郎さん
老衰のため亡くなった坂田藤十郎さん
藤十郎家系図
藤十郎家系図

 人間国宝で文化勲章受章者の歌舞伎俳優、坂田藤十郎(さかた・とうじゅうろう、本名・林宏太郎=はやし・こうたろう)さんが12日午前10時42分、老衰のため東京都内の病院で死去した。88歳。京都市出身。葬儀・告別式は14日に宝塚歌劇団出身の女優で参院議長を務めた妻の扇千景(87)ら親族で行った。最後の舞台は昨年12月の京都・南座。今年1月に腰の骨折で大阪・松竹座の「壽初春大歌舞伎」を休演し、3月の検査でパーキンソン病と診断され療養生活を送っていた。

「曽根崎心中」お初役で円熟 上方歌舞伎の「和事(わごと)」の精神を体現し続け、「東西が両輪となって進まなければ、歌舞伎の将来はない」と口癖のように語っていた藤十郎さん。この日の密葬で妻の扇、長男・中村鴈治郎(61)、次男・中村扇雀(59)ら家族全員に見守られ、天国へと旅立った。参列者によると扇は別れを惜しみつつ、気丈に振る舞っていたという。

 3月にパーキンソン病と診断されてから療養生活を送っていた。関係者によると誤嚥(ごえん)性肺炎を警戒し、固形物の食事を避けるようになったという。そのため徐々に体力が低下していったが、意識は最後まではっきりとしていた。コロナ禍により、家族でも見舞いが制限され、最期も静かに息を引き取った後に病院から連絡を受けた家族が駆け付けたという。

 はんなりとした風情や色気、哀愁の帯びた物悲しさ、優美な表現力で、上方歌舞伎再興のため生涯をささげ、2005年には大名跡「坂田藤十郎」を231年ぶりに襲名した。「一生青春」を座右の銘に掲げ、自他共に認める「全く後ろを振り向かないタイプ」だった。前向きさを失うことなく「形より心から出る芸やストーリーを大事にしたい」を信条に、血筋で継ぐ家の芸というよりも、自分の芸をつくることにまい進した。

 上演1400回を超える「曽根崎心中」のお初役は繰り返し何度も演じて円熟の域に達した当たり役だ。それでも藤十郎襲名披露の公演では、悲恋の物語をより効果的に展開するため、舞台転換を早める演出に切り替えるなど、生涯、挑戦者だった。立役から女形、舞踊まで芸域も幅広かった。夢だった大名跡襲名を実現してからも「歌舞伎界の絶対的な存在になる」と新たな目標を掲げ、最後まで走り続けた。

 近松門左衛門の作品を研究、復活する目的で旗揚げした「近松座」でも原作の戯曲に忠実な演出を心がけ、海外公演にも積極的で歌舞伎の普及に尽力した。12日に死去してから訃報はごく親しい関係者にしか知らされず、この日の発表を受け、歌舞伎界に衝撃が走った。

 〇…藤十郎さんは70歳だった2002年6月、写真誌「フライデー」で50歳下の舞妓(まいこ)とのホテル密会を報じられた。別れ際に濃厚なキスを交わし、股間を誇示したようなショットが掲載され「ご開チン」と話題を集めた。本人は騒動に動じることなく「まだまだ元気だと証明されてうれしかった」と笑い飛ばし、妻の扇も「もてない男は主人に持ちたくない」と毅然(きぜん)とした態度を見せた。この日、都内の自宅では、関係者が扇の様子について「もう、いたって元気にしておりますので、大丈夫です」と説明した。

 ◆坂田 藤十郎(さかた・とうじゅうろう)本名・林宏太郎。1931年12月31日、2代目・中村鴈治郎の長男として京都に生まれる。41年10月、大阪角座「山姥」の金時で2代目・中村扇雀を襲名し初舞台。20代には映画に主演し、扇雀ブームを巻き起こした。81年に近松座を結成。90年11月に3代目・中村鴈治郎を襲名。94年に人間国宝と日本芸術院会員に認定。03年に文化功労者、05年12月、京都・南座で4代目・坂田藤十郎を襲名。08年に高松宮記念世界文化賞を受賞。09年に文化勲章を受章。日本俳優協会会長。妻は元参院議長の扇千景。屋号は山城屋。

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