【ヒルマニア】巨人最強はどの監督時代か?2位に10差以上付けた圧勝の歴史

原辰徳監督と松井秀喜(2002年)
原辰徳監督と松井秀喜(2002年)

 巨人が2位・阪神に8・5ゲーム差をつけて独走している(29日現在)。長期1シーズン制となった1939年以降、2ケタのゲーム差を付けたのは、過去16回。そんな黄金時代を何度も刻んだ巨人の歴史で一番強かったのはいつの時代か。野球担当48年の「ヒルマニア」が解き明かす。

 ▼藤本定義監督時代(2回)

 1リーグ時代に6シーズン連続優勝。うち最初の5シーズンは藤本政権下だった。1940年は8月4日までセネタースとゲーム差なしだったが、7月下旬から行った満州シリーズに12連勝含む14勝2敗の快進撃で一気に差を広げた。スタルヒンからシーズン途中に須田博の日本名に変えた右腕エースの18連勝が大きかった。1942年は川上哲治、千葉茂、水原茂らが応召して選手が不足。粗悪なボールで反発力が落ち、首位打者・呉波(昌征)の打率は史上最低の2割8分6厘だった。投手陣には明大を秋に繰り上げ卒業した藤本英雄が14試合で10勝0敗。デビュー前は2位と3ゲーム差だったが、彼の入団で最終的に12・5ゲーム差としてシーズンを終えた。

 ▼三原修監督時代(1回)

 戦後、巨人が最初に独走優勝したのは1949年。それまでの4シーズン、優勝から見放されていたが、前年優勝の南海から別所毅彦投手を補強(開幕2か月は出場停止)したことで戦力が充実。開幕戦こそ敗れたが、2戦目から7連勝。ここで迎えたのは因縁の南海との3連戦。初戦は川上哲治の史上初の満塁逆転サヨナラ本塁打で勝ち、2戦目は6―7で競り負けた。第3戦では塁上での乱闘から三原修監督が相手選手を殴ったとして1年間の出場停止を受けた(その後出場停止は解除される)。その後、阪神、南海としれつなペナントレースを続けたが、6月に別所が復帰すると7月に10連勝して一気に2ケタの差を付け、10月9日に2位阪急が敗れ、8試合を残して6年ぶりの優勝を決めた。

 ▼水原茂(円裕)監督時代(4回)

 戦前の第1期黄金時代に次いで1951年からの第2期黄金時代も強かった。1951年、出足はけっして良くなかった。5月20日時点で17勝15敗2分けの3位(首位とは0・5差)。ハワイから2世選手、俊足巧打の与那嶺要を獲得してから独走態勢。7月16日から8月3日まで球団新記録(現在も記録)となる15連勝、9月にも11連勝。青田昇が本塁打と打点の2冠、川上哲治が自己最高の打率3割7分7厘、投げては松田清が19連勝(翌年まで20連勝)した。

 1952年は3・5差だったが、米カリフォルニア州サンタマリアでキャンプを張って、他球団より10日ほど開幕が遅れた53年も強かった。開幕から5連勝して一度も2位に落ちることがなかった。中でも終盤9月以降は25勝5敗、9月27日に優勝を決めたことで、連盟の申し合わせ事項によって5試合が打ち切り。それがなければゲーム差がもっと開いていた可能性もあった。大友工が27勝し防御率1・85で2冠でMVP。また、首位打者になった川上を始めベストナインの7ポジションを独占した。

 4連覇を逃したことで1955年は、中南米遠征を断行した巨人。メキシコ、キューバ、ドミニカ共和国など厳しい日程をこなしたチームは6月に13連勝して一気に抜け出すと、終盤にも45イニング連続無失点をマークするなど再び10連勝して、10試合を残して優勝を決めた。大友が30勝、別所が23勝、ともに300イニング以上投げた両輪。そして川上が5度目の首位打者と打点王も獲得してチームを先導した。

 3年連続日本シリーズで敗れた1959年。開幕戦こそ敗れたが2試合目から8連勝。一つ負けてまた6連勝で一気に独走態勢に入り、6月25日、阪神との天覧試合でサヨナラ勝ちし52試合目時点で2位に10ゲーム差を付けた。そのまま逃げ切ったチームでは、27勝で最多勝となった藤田元司が2年連続MVP、打者では2年目の長嶋茂雄が初の首位打者になった。

 ▼川上哲治監督時代(3回)

 不滅の9連覇の最初の3年間、連続して2ケタゲーム差を付けた。表にもあるように打者では王貞治が中心となり、投手では最初の5年間で通算100勝した城之内邦雄がエースとして君臨した。

 1965年は宮田征典が20勝プラス現在の規則では21セーブを挙げる活躍が光るなど、中村稔と20勝トリオが貢献。翌年は高卒新人の堀内恒夫がデビュー13連勝で勢いをつけ、8月の11連勝が効いた。

 1967年は5月の13連勝で前半戦で独走状態になり、8月の12連勝で9月上旬には17・5ゲームまで差を広げた。しかし、終盤14勝15敗で12ゲーム差で終わった。この年は王のほか柴田勲が70盗塁で相手をかき回し、城之内を含め5投手が規定投球回入りして2ケタ勝利と投打に盤石だった。3年連続2ケタゲーム差はチーム唯一。この3年間こそ巨人最強かもしれない。

 ▼長嶋茂雄監督時代(1回)

 チーム初のリーグ最下位から2年後の1977年は、王が通算756号本塁打でH・アーロンのメジャー記録を超えた年として知られるが、張本勲、王、柳田真宏のクリーンアップトリオがそろって打率3割、20本塁打以上の破壊力で他チームを圧倒した。

  • 巨人が2位に10ゲーム差以上つけたシーズン(長期1シーズンのみ)

    巨人が2位に10ゲーム差以上つけたシーズン(長期1シーズンのみ)

 ▼藤田元司監督時代(1回)

 前年に8年ぶりの日本一になった1990年は前年20勝をマークした斎藤雅樹が、この年も安定したピッチングで2年連続20勝&最優秀防御率。前年3人だけだった2ケタ勝利が5人と安定した投手陣で勝ち進んだ。2ケタ連勝こそなかったが、7月以降3度の9連勝で、9月8日には16試合を残した段階で優勝決定。チーム史上最多の22ゲーム差をつけてシーズンを終えた。

 ▼原辰徳監督時代(4回)

 2002年は就任1年目の原監督の下、開幕3連敗スタートで前半戦はもたついたが、7月16日に首位に立つとそのまま逃げ切った。打線では松井秀喜が本塁打、打点の2冠になるなど、186本塁打、691得点をたたき出した強力打線が投手陣をバックアップした。

 第2次原政権の2009年は、ラミレス、小笠原道大のFA移籍組に加え、坂本勇人が3年目で打率3割をマークするなど急成長。先発陣はゴンザレス、グライシンガー(13勝)の外国勢の活躍が大きかった。開幕8試合目に首位に立ったものの、独走とはいかず9月の10連勝で10ゲーム差以上つける形だった。

 2012年は捕手の阿部慎之助が首位打者と打点王の2冠となるなど、攻守に大活躍した。前半戦は中日とのマッチレースだったが、セ・リーグチーム初の交流戦優勝などで中盤から抜け出した。

 菅野智之が入団した2013年は開幕から球団タイとなる7連勝。6月に一時的に阪神に首位を明け渡したが、そのまま12・5ゲーム差を付けて2連覇を飾った。

 ◇  ◇  ◇

 巨人の原監督は今季、通算勝利で川上監督の1066勝を抜いて球団最多勝監督となったが、2ケタゲーム差回数でも水原監督の4シーズンを抜く5シーズン目の新記録なるかどうか注目される。(蛭間豊章=ベースボール・アナリスト)

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