【楽天】杜の都の“初代エース”岩隈久志が現役引退…球団創設5年目、初のCS決定時の独占手記を再録

スポーツ報知
2009年、野村克也監督(左)とガッチリ握手する岩隈

 巨人は19日、岩隈久志投手(39)が今季限りで現役を引退すると発表した。23日に記者会見を開く。

 岩隈は05年から新球団の楽天でプレー。エースとして08年には21勝4敗、201回2/3、防御率1・87で最多勝、最優秀防御率、沢村賞を受賞した。09年にはWBC日本代表として原監督のもとで世界一に貢献し、ベストナインにも選ばれた。

 09年10月3日、楽天が球団創設5年目で初のCS出場を決めた際には、スポーツ報知へ独占手記を寄せている。

 杜の都の“初代エース”の奮闘に心からの敬意を表し、再録する。

 * * *

 仙台に来て、良かったと思います。本拠地で決められて本当に良かった。どんな時も応援してくれた仙台のファンの笑顔を見ていたら、自然と喜びが沸いてきました。

 正直、今季は勝負どころだと思っていた。若いチームですが、着実に強くなってきていると手応えを感じていたからです。

 僕自身の“開幕”は早かった。WBCに向けて早めに体もつくっていたし、決勝の大舞台で先発したのは、すごくいい経験になりました。帰国後は「ここからが始まりだ」と切り替え、シーズンに臨みました。

 でも、無理がたたったのか、右ひじに痛みが出て、体全体が痛かった。初夏には、これ以上投げたら「潰(つぶ)れる」と思った。6月18日から右ひじ痛で1軍を離れ、1か月ぐらい2軍で調整しました。自分の中ではいい意味での切り替え。本当の勝負はまだ先。しっかり治そうと決断したんです。

 そんな中、後半戦の開幕を野村監督が「岩隈しかいない」と任せてくれた。あれで気持ち的に「また新しい戦いが始まる」という気になれました。夏場からはチームの雰囲気も良かったし、試合が進むたびに「チャンスを逃したくない」と感じるようになりました。

 9月1日の西武戦(Kスタ)では完投し、チームもサヨナラ勝ち。ヒーローインタビューでCSについて聞かれ、自然と「本気ですから!」と叫んでました。僕らしくない感情の爆発に、ファンの歓声がものすごかったことを覚えています。

 球団創設時を思うと、今の快進撃は感慨深い。僕がオリックスではなく、楽天でのプレーを希望した一番の理由は新しい球団だからです。近鉄から球団名が変わるだけだったら、何とも思わなかった。でも、吸収合併ですから。それでは、もう一緒になって戦いたい気持ちはなかった。新しいところで、新しい気持ちでプレーしたかった。

 05年の開幕戦(3月26日・千葉)は忘れられません。一体となって戦おうという気持ちで臨み、勝ちました。何といっても「初めて」ですから、やりがいがあった。本拠地開幕戦(4月1日・西武戦)も、よく覚えています。仙台の方々の声援の中で勝てた。ただ本当に覚えているのは、めちゃくちゃ寒かったということ。寒くて体が動けないんです。「こんな寒さの中で、これから投げていくのかな」という感じでした。

 僕自身2連勝でスタートしましたが、そこからは本当に苦しかった。マジで100敗するんじゃないかなと思っていました。体も悲鳴をあげる中で、無理していた。でも「100敗したくない」という思いと、あきらめたくないというのがすごくあった。初年度の自分、9勝15敗ですよ。15敗って球団記録でしょう。今後も破られないと思う。21勝は抜かれるかもしれませんけど…。ただただ、キツかった。

 そのころは近鉄時代とは違って、朝井や一場ら若い投手にアドバイスをするようにもなりました。「みんなで戦っていないと、やっていけない」と感じていた。結果が欲しかった。がむしゃらにやっていたと思います。

 最初は球団施設も今のように整っていませんでした。室内練習場はまだなく、雨が降ると社会人のJTの練習場にまで行ってました。球場でも駐車場に車を止めてから、選手用通路がない。ファンの方と一緒に歩いていましたね。カラオケで楽天の応援歌を入れると、1年目の映像が流れるんです。髪も長くて茶髪で、めっちゃチャラ男に見えますもん。見ないようにしています。でも、あんなに負けていても最後まで応援してくれるファンがいた。期待にいつか応えたかった。

 06年には持ち味の2段モーションが禁止になり、フォーム改造の影響で肩の痛みも出始めた。ほとんどをリハビリに費やし、1勝2敗と苦しいシーズンになりました。07年も故障続き。正直、楽天の野球がつまんなかった。けがから復帰しても、不安ばかりだった。楽しくない。求めるものが自分の中にない感じ。結局5勝5敗。「何のために野球をやってんのかな」という感覚。そこで、右ひじの手術を決意します。気持ちや考え方を全部変えようって。

 でも、この苦しい2年間があったから、野球への考え方が成長できたと思う。チームのために、どうすれば勝てるか。それを考えるようになった。けがしている時でも、応援してくれるファンがいた。その声援に気づけた。家族の支えも大きかった。自分のために野球をやっているんじゃない。

 だから去年は、マウンドに上がるのが楽しかった。守ってくれる野手やファンのため、感謝の気持ちを表して投げよう。その意識が21勝、沢村賞などの結果につながったのだと思います。

 球団史上初のAクラスは、指導者やチームメート、球団職員や裏方さん、ファンや家族との「絆(きずな)」で勝ち取ったものだと思います。ペナントレースは続きます。最後まで上を上を目指して、投げていきたい。5年間、支えてくれた方々の声援に、恩返ししていきたいです。

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