“虎ハンター”小林邦昭ヒストリー<17>「長州力と共闘。マサ斎藤と合体…革命軍結成」

マサ斎藤さん(左)と小林邦昭(写真は本人提供)
マサ斎藤さん(左)と小林邦昭(写真は本人提供)

 1980年代前半に初代タイガーマスクと激闘を展開し“虎ハンター”と呼ばれた小林邦昭氏(64)が2000年4月21日に引退してから今年で20年となった。1972年10月に旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。タイガーマスクとの抗争、全日本プロレスでは三沢光晴の2代目タイガーマスクと対戦、さらに平成に入ってからは新日マットで反選手会同盟、平成維震軍で活躍した。WEB報知では、「“虎ハンター”小林邦昭ヒストリー」と題し、記憶に残る名選手のレスラー人生を辿る連載を展開する。第17回は「長州力と共闘。マサ斎藤と合体…革命軍結成」(福留 崇広)

 1982年秋。タイガーマスクとの連戦で覆面を剥いだ小林邦昭は、長州力との共闘を決断する。長州は、小林が凱旋した10月8日の後楽園ホールで藤波辰巳へ反旗を翻し、同月22日に広島県立体育館、そして小林がタイガーと再戦した11月4日の蔵前国技館で藤波と再戦し、一気に注目を集める存在になっていた。

 「長州と僕は、2人とも反逆して騒ぎになったから2人で話し合って“行っちゃおうか”っていう感じでロスへ逃避行しました。その時に長州と初めて、じっくりプロレスについて話をしました。長州はヘビー級で僕はジュニアヘビー級で、これから“どういうスタイルで行くのが、いいか”とか話をしました」

 若手時代からここに至るまで長州とプロレスについて真剣に話をしたことはなかった。しかし、長州の反逆を見てタイガーマスクへ「牙をむく」ことに背中を押された小林にとって長州の存在は刺激的だった。

 「長州は、藤波さんに噛みついてプロレスへの考え方が変わったと思いますよ。正直、それまではサラリーマンプロレスに見えていました。あそこまで人気も出ないで鳴かず飛ばずでしたから。だけど、あの行動をきっかけに猪木さんに近い考え方になっていきました。あの行動も長州自身が考え抜いて決断したんだと思いますよ。ただ、僕にとってタイガーマスクがいたように、長州にとっての藤波辰巳という存在が大きくて輝いていたから、噛みつきがいがあったんです。藤波さんもタイガーマスクも当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでしたから。あれが人気がなかったレスラーだったら噛みついても全然ダメだったと思います。そういう意味では、あの時の新日本は、猪木さんを含めて3人のスーパースターがいたから、噛みつきがいがあったんです」

 小林が表現した「猪木さんに近い考え」とは、どういう意味なのか。

 「僕は、ずっと猪木さんの試合を見て勉強していました。そこで分かったのは、猪木さんの考えは、常に頭のなかはプロレスに対して真っ向勝負なんです。そして、それを体全体でリングで表さないといけないんです。それが猪木さんの考え方なんですね。だから、僕もタイガーマスクとは、真っ向勝負です。今、あのころの試合を見ると自分で見ても目が違います」

 そして、長州も藤波へ反逆したことで目が変わった。

 「長州も猪木さんのようになりましたね。もう後には引けない断崖絶壁に立たされたように、とにかく前へ前へ進むようにイケイケで凄かったですよ。あの時代の試合は凄まじかったですね」

 共鳴した小林と長州は、11・4蔵前の直後に渡米しロサンゼルスへ入り、そしてニューヨークへ移動した。

 「たった2人だけでしたから、とにかく僕たちのボスになる人が必要だと思ったんですね。長州も僕もそれは、マサ斎藤さんしかいないと思って、何しろ百戦錬磨ですから、マサさんの経験を頼りにしたかったんです。ニューヨークでマサさんが試合をしていたので、ニューヨークに入って、マサさんにボスに頼んだ。そしたら、マサさんが“任せろ”って受け入れてくれて、軍団が生まれたんです」

 マサ斎藤、長州力、小林邦昭。新日本プロレスへ反旗を翻す軍団が誕生した。名前は「革命軍」。年が明けた1983年、新日マットにさらなる旋風を巻き起こす。(続く。敬称略)

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