「おゝ感動の友情メダル」…報知新聞号外で振り返る1936年ベルリンの記憶 

ベルリン五輪当時の報知新聞の号外
ベルリン五輪当時の報知新聞の号外

 五輪取材の参考にと、一時期、古い資料を集めた。その中に1936年(昭和11年)の報知新聞の号外を見つけた。8月7日と9日付の2部でA2判の表裏2ページ。いずれも黄色くあせて、力を入れると崩れそうなボロボロの紙面。長嶋茂雄がこの世に生を受け、日本最初のプロ野球試合が行われ、2・26事件も起きた激動の年。号外はベルリン五輪で発行されたものだった。

 ドイツのヒトラー総統がプロパガンダ効果を期待し、聖火リレーを初めて行うなど注目された大会。日本の各メディアも報道に力を入れた。当時は一般紙だった報知新聞社では国際電話取材はもちろん、写真を送るため、いち早く画像電送機を導入。号外には写真のキャプションに「同盟ベルリン特派員発―東京無線電送実験写真」と記されている。

 7日付号外には「おゝ感激の日章旗揚がる」(伯林電送)という見出しに、星条旗を挟んだ日の丸2本が競技場に翻る写真。6日に行われた陸上棒高跳びの表彰式(競技は5日)で、4メートル35で優勝のメドウス(米国)を中央に2位・西田修平、3位・大江季雄が表彰台に立つ。写真は7日午前7時35分に電送されている。

 同時に、6日の三段跳びを速報。16メートルの世界新記録(当時)で優勝を決め、織田幹雄、南部忠平に続き日本の3連覇を果たしたばかりの田島直人が、国際電話で喜びを語っている。「言葉では表現出来ぬ 傳(伝)統を守り得た歓び」の見出しで「何となく勝てそうな気がしました」「両先輩が残した跳躍日本の伝統を守り得た喜びでいっぱい」と答える様子は臨場感たっぷり。兄・元さんとの電話対談も掲載し、兄が「朝のラジオではっきり『君が代』が入ったところ」などと感動を伝えると「兄さんがここに来てくれたら(中略)僕らは偉大な感激にひたることが出来たろう」と答えた。甥っ子からの伝言で「土産の写真機を忘れないように」と念押しもされている。

 9日付は五輪プールから競泳の予選の模様。「再制覇の飛沫をあげる無敵軍」「好敵・米国の低調さに我軍は寧ろ拍子抜け」と日本勢の好調ぶりを伝え、実際、写真が掲載された遊佐正憲らの男子800メートルリレーは連覇を達成した。

 号外を手にすると、西田さんの優しい笑顔が浮かんできた。91年の東京世界陸上で“友情メダル”について尋ねた時のことだ。5時間以上も跳び続け、日没で暗くなっていたこともあり、4メートル25の西田さんと大江さんは「日本人同士で争う必要はない」と順位決定戦を辞退。大会側は同記録の試技回数で順位付けしたが、西田さんは後輩の大江さんに「次の東京で頑張ってほしい」という期待から、表彰台では2位と3位を入れ替えて立った。帰国後、間違って銀メダルを持ち帰った大江さんの兄が返しに行くと西田さんは知人の宝石商に頼み、銀と銅を半分に割ってつなぎ合わせた。それが“友情メダル”だ。

 教科書にも載った話だが、西田さんは「そんな大した話じゃないよ」とそっけない。それよりも41年に大江さんがフィリピンで戦死したことを残念そうに話した。手に取れるメダルより、目に見えない思いこそが友情の証しだった。(谷口 隆俊)

 ◆谷口 隆俊(たにぐち・たかとし)1963年5月12日、東京都生まれ。57歳。菅首相と同じ法大出身。五輪、野球、競馬、文化社会部など全ての分野で取材。夏季五輪は88年ソウルから4大会連続で取材。現在はプロボクシング担当。アントニオ猪木の巌流島対決は忘れられない取材の一つ。

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