【巨人】菅野智之が並んだスタルヒンの壮絶人生…ロシア革命、年間42勝、戦争…伝記執筆の娘は日本で活躍

スタルヒンと菅野。菅野の熱投でスタルヒンの偉業に再びスポットライトが照らされた
スタルヒンと菅野。菅野の熱投でスタルヒンの偉業に再びスポットライトが照らされた

 巨人の菅野智之投手(30)が15日の阪神戦(東京D)で開幕11連勝を飾った。

 巨人の開幕投手で開幕11連勝は、38年春のスタルヒンに並ぶ、82年ぶりの球団タイ記録となった。その伝説の大投手・スタルヒンの人生は壮絶なものだった。

 ビクトル・スタルヒンは1916年5月1日、ロシア生まれ。1歳の時に起きたロシア革命から逃れるため9歳で家族と日本に亡命した。少年時代は北海道・旭川で過ごす。旭川中(現旭川東高)では身長191センチの剛球投手として注目を集め、甲子園を目指すも、父が殺人罪に問われて経済的に苦しくなり中退した。

 まだプロ野球がなかった34年には大日本東京野球倶楽部(巨人軍)に参加し、日米野球に出場。36年にそのまま東京巨人軍に入団した。同年7月3日の大東京戦で救援登板し、巨人の公式戦初勝利に貢献した。

 38年春には開幕投手で開幕11連勝を挙げ、チーム35試合中24登板で14勝3敗、防御率2・04。同年秋はチーム40試合中24登板で19勝2敗、防御率1・05をマークした。翌39年にはチーム96試合中68登板で458回1/3を投げ、282奪三振、防御率1・73、今も破られていないシーズン42勝のプロ野球記録を達成し、2年連続MVPに輝いた。

 1940年、戦時体制に合わせた横文字自粛で、巨人軍のユニホームの「G」マークは「巨」に。当時「スタルヒン」は改名を強要されて4年間「須田博」と名乗らされた。沢村栄治は戦場に散ったが、スタルヒンは白系ロシア人として国籍がないため兵役は免れた。戦時中を生き抜いたとはいえ、軍部から「敵性外国人」とみなされ軟禁生活など厳しい扱いを受けた。

 戦後46年からは藤本定義監督を慕ってパシフィック、太陽、金星、大映、高橋、トンボと各チームを渡り歩いた。引退2年後の57年に自動車事故死。40歳の若さだった。

 プロ19年間で通算成績は303勝176敗。1960奪三振、防御率2・09。通算完封83は日本記録。60年に野球殿堂入りした。

 娘のナターシャ・スタルヒンさん(68)は現在、日本で美容業界などで活躍している。米クレイトン大ではホリスティック栄養学修士号を取得し、血液栄養分析士の資格も取得。

 ナターシャさんは野球を全く見ないというが、30歳を過ぎた頃に「父を知る手だては取材しかない」と5歳で亡くした父・スタルヒンについて関係者に熱心に話を聞き、父の伝記を執筆した。スタルヒン投手の伝記「白球に栄光と夢をのせて」、「ロシアから来たエース」のほか、美容健康コンサルタントとして「生ジュース・ダイエット健康法」(講談社プラスα新書)など著作は20冊を超える。

 現在は北海道・旭川に「スタルヒン球場」があり、銅像やプレートなどで偉大な功績がたたえられている。2020年、巨人のエース菅野が球団の開幕投手では82年ぶりの開幕11連勝を達成し、伝説の大投手・スタルヒンの偉業にスポットライトが照らされた。

巨人

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 バックナンバー申し込み 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請