【オリックス】大下誠一郎がプロ初打席弾 22歳ルーキー、借りた「102」ユニホームで育成ドラフト史上初の快挙

プロ初本塁打を放ち笑顔で生還した大下誠一郎(カメラ・義村 治子)
プロ初本塁打を放ち笑顔で生還した大下誠一郎(カメラ・義村 治子)
2回1死一、三塁、プロ初打席初本塁打となる決勝3ランを放った大下(カメラ・石田 順平)
2回1死一、三塁、プロ初打席初本塁打となる決勝3ランを放った大下(カメラ・石田 順平)
山岡打撃投手のユニホームを着て出場した大下誠一郎
山岡打撃投手のユニホームを着て出場した大下誠一郎

◆パ・リーグ オリックス5―1楽天(15日・ほっともっと神戸)

 小さな体にため込んだパワーを一気にぶつけた。同点に追いついた直後の2回1死一、三塁。14日に支配下登録されたばかりの大下が、辛島の138キロをフルスイング。左翼席に勝ち越し3ランをぶち込んだ。育成ドラフト6位の新人が放ったプロ初打席初本塁打は、05年に導入された育成ドラフト入団選手では史上初。今季初開催のほっと神戸に、驚きの歓声がこだました。

 「打球が低すぎて入ったっち思わんかったけど、一塁ベースを過ぎたくらいで声援が聞こえて」。171センチ、89キロのずんぐりした体を揺らし全力疾走、本塁打と知って減速。「メチャクチャうれしかったです」。両腕を頭上でぐるぐると回し、子どものようにはしゃいでホームインした。

 突如巡ってきたチャンスだった。支配下登録から一夜明けで1軍に合流し、「8番・三塁」で即先発。背番号40の新ユニホームが間に合わず、山岡打撃投手の「102」で出場した。全力疾走で守備に就き「グラウンドに入れば緊張はなかった」と強心臓ぶりを発揮したかと思いきや、初打席では「足がメッチャ震えてました」。初々しくも、最高の結果を出した。2軍から見てきた中嶋監督代行は、連敗を3で止めた孝行息子を「大仕事をしてくれた」と称賛した。

 22歳には背負うものがある。大学3年時に父・一雅さんが脳内出血で倒れ、今も車いす生活を送る。野球を始めたきっかけの存在と2人の妹を支えるのが務めだ。記念球は父親へ贈る。「毎日、病気で頑張ってる。もっともっと、頑張らないけんなっちゅうふうに思いました」。北九州弁丸出しで決意を新たにした。95年のリーグV時のユニホームで、神戸のファンにも新星誕生を強く印象づけた。(宮崎 尚行)

 ◆大下誠一郎アラカルト

 ▼生まれとサイズ 1997年11月3日、福岡県生まれ。171センチ、89キロ。右投右打。

 ▼経歴 八幡中央ボーイズ(小学)、小倉ボーイズ時代(中学)は投手で、中学時代に世界大会優勝。白鴎大学足利高から野手転向して2年春(2回戦負け)に甲子園出場。高校通算29本塁打。白鴎大3年時には全日本選手権8強。リーグ通算10本塁打。

 ▼野球一筋 入寮時に報道陣が恒例の持参物を質問するが、「野球をしに来ているので、野球道具と私服くらいです」ときっぱり。

 ▼阪神・大山を尊敬 白鴎大の3学年上の先輩とは大学時代、特に打撃面中心に一緒に練習を重ねた。バットも「悠輔さん(大山)を参考に作った」。打撃で悩んだ時には「LINEして話したり、聞いていました」。

 ▼ツッパリだった!? 登場曲は嶋大輔がリーゼント姿で歌う「男の勲章」。選曲理由を「自分らしい」と語るが、自身のツッパリ経験については「そんなことはないですけど」。

試合詳細
プロ初本塁打を放ち笑顔で生還した大下誠一郎(カメラ・義村 治子)
2回1死一、三塁、プロ初打席初本塁打となる決勝3ランを放った大下(カメラ・石田 順平)
山岡打撃投手のユニホームを着て出場した大下誠一郎
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