安倍晋三首相(65)=自民党総裁=の後継を決める自民党総裁選(8日告示、14日投開票)に立候補する岸田文雄政調会長(63)=衆院広島1区=が5日、自民党本部でスポーツ7紙の合同インタビューに応じた。以前から「安倍氏の後継者」と目されながらも、現在は菅義偉官房長官(71)に大きく水をあけられた状況だが、小学生時代からのファンであるプロ野球・広島になぞらえ「野球も政治も、いい時もあれば悪い時もある。前向きに生きることが大事だと思います」と力を込めた。(高柳 哲人、久保 阿礼、奥津 友希乃)
首相が突然辞任を表明する前は安倍氏の意中の後継者と言われ、政権禅譲論まで出ていた岸田氏。「ポスト安倍」の一番手だったはずが、ふたを開ければほとんどの派閥が菅氏支持を表明し、一転して苦しい立場に立たされた。それでも岸田氏は、ファイティングポーズを崩さなかった。
「総裁選への出馬を見合わせ、安倍さんを支持した2018年以降、いろいろなことがあり、今のこういう状況になっています。でも、後から振り返って、ああだこうだと言ってもしょうがない。政治の世界だから、いろんなことがある。逆に、これからも思わぬことが起こるかもしれませんから、前向きにいくしかない」その心意気は、小学生の時から応援している広島からもらったものだった。
旧広島1区選出の衆院議員だった父・文武さん(92年死去)の影響で広島ファンとなった岸田氏だが、子供の頃は弱小球団。「巨人キラーの外木場(義郎投手)や安仁屋(宗八投手)が巨人を倒すのが唯一の楽しみでした。王や長嶋、堀内には、少年の夢をずいぶん打ち砕かれた思い出があります」。その後、高校生になった“岸田青年”は、「今でも一生の思い出」という瞬間に出会う。
「昭和50(1975)年10月15日、後楽園球場のレフトスタンドの一番上で、高校の仲間と初優勝を一緒に見ました。最後は確か、柴田(勲)がレフトフライを上げて、私の目の前で捕って優勝が決まったんです。野球も人生も、そして政治も悪い時もあればいい時もある」。広島を応援し続けたことで、その思いは強くなった。
岸田氏には「地味」「まじめ過ぎ」など、否定的なイメージもある。それを知った上で「反論じみたことをするつもりはない」と言い切った。「自分の態度で、結果で答えていくしかない。そのためには、努力をすることに尽きると思います。言われたことに対して、口で反論するのは、自分としては不本意なので」。行動と結果でそのイメージを打破したいとした。
政策では、新型コロナウイルス対策について「医療におけるPCR検査」に加え「社会を動かすPCR検査」の実施を挙げた。「人、金、モノを動かすために検査の回数を増やし、費用を抑え、簡単に受けられるようにする。それが、来年に延期された五輪・パラリンピック開催の重要なポイントにもなると思います」と強調した。
◆1975年10月15日の巨人対広島戦(後楽園球場) 広島のマジック1で迎えた試合は巨人の先発が新浦、広島は外木場。5回表に広島が大下の適時二塁打で1点を先制し、9回表にホプキンスがダメ押し3ラン。9回裏の最後の打者・柴田の左飛を水谷がキャッチし、4―0で広島が勝利。球団創設26年目で初のリーグ優勝を飾った。
◆岸田 文雄(きしだ・ふみお)1957年7月29日、東京都生まれ、63歳。早大法学部卒業後に日本長期信用銀行入社。衆院議員秘書などを経て、93年衆院初当選。2007年に内閣府特命担当相(第1次安倍内閣)、12年に外相(第2次安倍内閣)などを歴任。17年には憲政史上初めて外務・防衛相を兼務。同年から自民党政調会長に就任。当選9回。家族は妻と3男。