「絶対に獲りたい選手がいます」ドラフト直前、球団社長に直談判して実現した「近鉄岩隈5位指名」…山本泰さん悼む

PL学園監督時代の山本泰さん(78年夏の甲子園。当時の名字は「鶴岡」)
PL学園監督時代の山本泰さん(78年夏の甲子園。当時の名字は「鶴岡」)

 山本泰さんの訃報に接して、グラウンド上のプレーを見つめる鋭い眼光と、時折浮かべる柔和な笑顔を思い出しては、悲しみに暮れている。

 私がアマ野球担当記者だった頃、山本さんは近鉄や米大リーグのマリナーズのスカウトを務めていた。高校や大学、社会人の現場でよく隣に座らせていただき、話を聞かせてもらった。中でも1999年のドラフトにおける堀越・岩隈久志投手の獲得秘話はとても印象に残っている。

 188センチの長身から繰り出す140キロ近い直球が武器の岩隈はその夏、東京でも屈指の好投手としてプロから注目を集めていたが、本調子とはほど遠かった。西東京大会の準決勝では日大三に8失点で7回コールド負け。他球団が手を引く中でも、山本さんの評価は不変だった。

 「たまたま見たのが、高校2年の終わりぐらい。第一印象で『ものすごくいいな』と思った。ひじが柔らかく使えていたので、ゾッコンでしたよ」

 ドラフト直前のスカウト会議。議論を終え、方向性も固まったその時、山本さんは挙手して球団社長に直談判した。

 「『絶対に獲りたい選手がいます』ってね。もう、必死だったよ。惚れちゃっているんだから。それで『そこまで言うんだったら』って、5位で指名させてもらったんだ」

 04年の15勝、楽天での08年、21勝を挙げての沢村賞、09年WBC世界一への貢献、15年マリナーズでのノーヒットノーラン…岩隈のその後の活躍はあらためて記すまでもないだろう。

 もしあの時、山本さんが挙手をせず、岩隈が近鉄に入団していなければ―。2000年代のパ・リーグの風景は、大きく変わったものになっていたはずだ。

 確かな眼力と、獲得への強い熱意。PL学園を初の甲子園優勝に導いた伝説の指導者は、名スカウトでもあったと、後世に語り継いでいきたい。(デジタル編集デスク・加藤弘士=05、07、08、10年アマ野球担当キャップ)

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