「プロの球場でできたのはうれしかった」斎藤雅樹が言った1982年、夏…西武球場で初の高校野球決勝が行われたあの日

82年、巨人にドラフト1位指名された市立川口・斎藤雅樹
82年、巨人にドラフト1位指名された市立川口・斎藤雅樹

 ♪砂の上、刻むステップ ほんのひとり遊び…

 甲子園出場がかかる大一番を前に、球場に流れていたのは中森明菜のヒット曲「スローモーション」だった。

 1982年7月30日。西武ライオンズ球場で全国高校野球選手権埼玉大会決勝の市立川口対熊谷戦が行われた。79年の開場以来、同球場で高校野球の決勝が行われるのは初めてのことだった。

 試合前練習でヒット曲がかかっていたのは、プロ野球の本拠地ならでは。埼玉の高校野球史に新たな歴史を刻んだ一戦で、市立川口のエースとしてマウンドに立っていたのはのちに〝平成の大エース〟として巨人で活躍した斎藤雅樹だった。「もう38年前になるのか…」と当時を懐かしがった。

 当時、埼玉の高校野球の聖地といえば、34年(昭和9年)に完成した県営大宮球場。同年、全日本と来日した全米チームと試合が行われ、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックもプレー。53年8月の高校野球南関東大会1回戦では、佐倉一高(現佐倉高)3年だった長嶋茂雄さんがバックスクリーンへ本塁打を放つなど数々のエピソードを残すが、両翼90メートル、中堅105メートルの規格は金属バットの進化によって手狭になっていた。本塁打が乱れ飛び、乱打戦も多かった。

 外野手はフェンスに張り付いて守るのが常。フェンスオーバーはやむなし。前に打球が落ちても、単打で止められる。野手の間を抜けられても、二塁打がいいところ。三塁打が出にくい球場だった。

 さらには、出場校が増えて、開会式では選手がフィールドに収まりきらなくなっていた。そこで、出場校が当時では最多となる116校を数えた81年から開会式、直後の2試合を西武球場で開催。翌82年からは開会式と直後の2試合、準々決勝から決勝までの試合を西武球場で開催することになった。

 今でこそプロの本拠地で地方大会を行うのは珍しくないが、当時は神宮、横浜スタジアムくらいだった。公営の球場でも当たり前になった全面人工芝の球場も後楽園、神宮、横浜といった程度。「西武でプレーできる」。埼玉の高校球児に新たな目標ができた。

 この年の埼玉はセンバツにも出ていた上尾が抜きんでていた。全国屈指の左腕・日野伸一を擁し、中軸には現中大監督の清水達也がいた。甲子園に出れば優勝候補間違いなしの力を持ちながら、3回戦で鴻巣にサヨナラ負け。プロ注目の右腕だった斎藤を擁して上尾を追う1番手と見られていた市立川口は、順当に勝ち上がって準々決勝へ。チームメイトの僕も西武の人工芝を踏むことができて何よりうれしかった。

 両翼90メートル、中堅105メートル、95メートル、120メートルの西武へ。「県営(大宮)よりずっと広いと思ったね。スタンドもでかいし、きれいだし。人工芝でやるのも初めてだったからね」と振り返った斎藤は、西武での初戦となった準々決勝の春日部工戦で左中間スタンドにライナーで飛び込む本塁打を放った。

 82年は西武の所沢移転後、初の日本一に輝いた年だった。4番は田淵幸一。翌日、某スポーツ紙の1面には「斎藤 田淵級の一発」といった見出しが躍ったのを覚えている。

 準決勝は上尾を破った鴻巣に快勝し、いよいよ決勝へ。相手はノーシードの熊谷。51年夏の甲子園で準優勝の経験があるとはいえ、過去の話。前評判は断然、市立川口が上だった。

 通常、試合前練習は7分間のシートノックくらいだが、決勝戦は1時間ほど打撃練習の時間が与えられ、20人の登録メンバー以外の部員もグラウンドに下りることができた。こんな広い球場でフリー打撃ができる機会はめったにない。ましてやプロの本拠地。明菜ちゃんをはじめとする当時のヒット曲に乗って、サク越えを狙うヤツも多かった。

 守備についたメンバー外の部員はわけもなくダイビングして、全身で人工芝の感触を味わった。試合はというと、1対3で敗戦。斎藤は4連投の疲れがあったのか、1対1の8回に2点を失った。相手の軟投派右腕・江頭靖二投手に5安打に抑えられた。試合前の打撃練習で大振りが目立ったからとは考えたくないが…。

 僕が取材で初めて西武球場へ足を運んだ時、真っ先に向かったのは一塁側ベンチ。初の甲子園出場を逃して、みんなで号泣した場所だった。

 あれから38年。コロナ禍で夏の甲子園大会は戦後初めて中止となり、各地で代替大会が行われている。8日に開幕した埼玉大会の準決勝、決勝の舞台はメットライフドーム。92年以降は新たにできた県営大宮公園球場に主会場を戻していたから、91年以来実に29年ぶり。埼玉の球児にとってメットライフドームがこの夏の終着点となり、最大の目標になる。

 「プロが使っている球場でできたのはうれしかった」と斎藤が言うように、プロの本拠地でプレーできた喜びは本当に大きい。西武球団の厚意で設定された今回の夢舞台。せっかくの機会だから、球団には選手がプロの本拠地でプレーできたという思い出を作れるような演出をしてほしいと思う。3年生にとっては集大成となる特別な夏が最高に輝くように。(記者コラム・秋本 正己)

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