【1990年8月4日】大仁田厚の電流爆破デスマッチの原点…あれから30年

ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを戦った大仁田厚
ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを戦った大仁田厚

 元参院議員でいまだにプロレスラーの大仁田厚(62)による、史上初の電流爆破デスマッチは、1990年8月4日、大仁田が前年に旗揚げしたFMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)の東京・レールシティ汐留特設リング大会で、大仁田厚VSターザン後藤によって「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」として行われた。

 プロレスの3本のロープの代わりに、有刺鉄線(鉄条網)を張り、その有刺鉄線に小型爆弾を仕掛けたのが、「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」。体を傷だらけにした。目の肥えたファンどころか、関係者、マスコミまでが「もういいからやめてくれ」と感じた壮絶なデスマッチだった。その年のプロレス大賞(東京スポーツ制定、報知新聞社などが選考)では、新日本プロレス、全日本プロレスの当時2大メジャー団体を抑えてプロレス大賞MVPとベストバウト(年間最高試合)をダブル受賞した。

 今年はそれから30年。大仁田は「電流爆破生誕30周年記念~爆破甲子園 JAPAN TOUR 2020」を今年に予定していたが、まさかの新型コロナウイルス感染拡大によって、実現できず。予定していた札幌、宮城、東京、富山、名古屋、大阪、香川、広島、福岡、佐賀での全国ツアーはすべて中止になった。

 最初の電流爆破デスマッチから6回引退し、6回リング復帰(それ以前に1回引退し1回復帰しており通算ではともに7回)している“邪道”こと大仁田は、電流爆破デスマッチの30周年を記念して、「人生に必要なことは、電流爆破が教えてくれた」(徳間書店、1800円+税)を出版した。

 相手のターザン後藤(56)とはいまだに絶縁関係だが、史上初の「電流爆破デスマッチ」の過程で同年6月24日に江東区の夢の島総合体育館(現BumB東京スポーツ文化館)で後藤とノーピープルマッチを行った。これがコロナ禍で余儀なくされた、屋内での無観客試合の元祖と言われている。

 大仁田は「だから無観客を乗り越えた時に、プロレスは弾けないといけないんじゃー」と話す。そして、8月25日には、DDTプロレスリングの高木三四郎社長(50)とのコラボ興行「爆破甲子園」として、東京・後楽園ホールで「STREET FIGHT CLUB」を開催する。大仁田がデスマッチを行うほか、元全日本プロレス社長の秋山準(50)と昭和の大横綱・大鵬の孫・納谷幸男(25)による「王道伝承マッチ」も組まれた。さらに8月29日には、神奈川・富士通スタジアム川崎(川崎富士見球技場、旧川崎球場)での「佐藤光留デビュー20周年記念興行」で、大仁田は電流爆破デスマッチを行う。30周年の特別な8月になりそうだ。(酒井 隆之)

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