就任10年目の夏、最後の指揮 監督がスタメン決定を選手たちに任せた理由

多賀戦のイニング間に水戸一ナインへと指示を与える竹内達郎監督(カメラ・加藤 弘士)
多賀戦のイニング間に水戸一ナインへと指示を与える竹内達郎監督(カメラ・加藤 弘士)

 あきらめない。まだまだだ。水戸一ナインのほとばしる執念が夕暮れの夏空に漂う。異様な熱気が球場を包み込んだ。

 関東地方に梅雨明けが発表された8月1日。JCOMスタジアム土浦で行われた夏季茨城県高校野球大会4回戦の第3試合、多賀対水戸一戦は激戦となった。3回戦で強豪・常総学院を撃破した多賀の勢いは凄まじく、6回を終えて水戸一は1-6と敗色濃厚だった。

 しかし、監督の竹内達郎はナインに訴えた。

 「死闘だぞ。デスマッチだ。最後まで一蓮托生で行くぞ!」

 闘志を燃やす選手たち。7回にはヒット3本に犠飛を絡めて2点を返す。そして3点ビハインドの最終回。2死一塁から主将の折橋秀哉が右前安打で続くと、1番の古谷(こや)崇晃の打球はライトの頭上を越えた。三塁打で2者が生還。1点差に迫った。

 それでも多賀の2年生エース・神永耀生のスタミナは圧巻だった。133球目、打者のバットは空を切り、ゲームセット-。勝てば同校39年ぶりの夏8強だったが、5-6で夢は破れた。

 「多賀は素晴らしいチームでした。神永君は川上憲伸のように、タフに投げ込んできた。選手たちは最後まであきらめずに戦う気持ちを見せてくれました。立派でした」

 惜敗を振り返った竹内の口から直後、驚愕の言葉が飛び出した。

 「実はきょう、選手たちにスタメンを任せてみたんです。みんなで相談して決めたオーダーで、臨んでみました」

 私はICレコーダーを持つ手が震えた。公式戦のスタメン決定は監督の専権事項だ。高校野球において指揮官が全権を有する主な理由もそこにある。

 しかも、私は竹内の采配をこの10年、見続けてきたが、先発オーダーを通じてその試合に臨む意図、選手へのメッセージをしっかりと込めるタイプの指導者である。

 「委譲」した理由は、いったい何なのか。

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 水戸一は茨城県内でも屈指の名門進学校。古くから自由を重視し、生徒の自主性を尊ぶ気風がある。

 野球ファンにとっては「学生野球の父」こと早大野球部初代監督・飛田穂洲の出身校としても知られ、校内には飛田の胸像が若者の成長を見守る。伝説の「早慶六連戦」を指揮し、今年1月には野球殿堂入りした元早大監督・石井連蔵もOBだ。

 47歳になる竹内は常総学院の出身である。名将・木内幸男のもとで主将を務め、その打棒は2学年下の金子誠(現日本ハム1軍野手総合コーチ)が憧れていたほど。筑波大でも、国立大で史上初の日本一に導いた知将・功力靖雄のもとで主将を担った。4年秋には首都大学リーグ制覇に貢献し、MVPに輝いた。

 竹内は震災の被害が残る2011年4月、水戸一の監督に就任した。それ以来、ナインに自ら考え、計画し、実行することの重要性を説いてきた。受け身ではなく、自ら能動的に野球へと取り組んでこそ、野球が好きになり、社会に出てからも進んで諸問題を解決できる人間になれるとの思いからだ。

 「今年のチームはコロナ禍の大変な中でも、ここまでしっかりやってきた。最後は選手たちが自分たちで作り上げる野球ができたら、有意義だと思ったんです。だから『好きにやってみろ』と」

 4日前のミーティング。マネジャーも含めて2、3年生部員計17人が集まり、4班に分かれてスタメンを討議した。議論は2時間にも及んだ。様々な意見が出たが、全員の目的は一つだった。

 勝つこと。夏を1日でも長く、このメンバーで過ごすためにも-。

 4つの案をもとに、最終決断はキャプテンに託された。折橋は胸中をこう明かした。

 「実は3回戦の岩瀬日大戦の前にも、監督さんは『折橋が決めろ』と言って下さって。その時は驚きと、任せてくれる喜びがありました。今回はスタメン9人中、2年生を4人入れたんですが、自分の中では葛藤がありました。一緒にやってきた3年生を先発させるべきかなとも思いましたし。でも、勝ってもう1試合を戦うためには、2年生の力を借りるしかないと思ったんです」

 試合前日。スタメンを発表すると、折橋はスタメンを外れた3年生たちに声を掛けた。

 「終盤で、勝負所で行くから、しっかり準備しておいてくれよ」

 先発オーダーにその名がなく、気落ちしているかもしれない-。そんな思いからのフォローだったが、杞憂だった。

 「みんな、自分が言わなくても最初から、『勝負所で行くぞ』という顔つきをしていました。前を見据えていたんです。その気持ちが本当にうれしかった」

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  • 笠間市民球場で3回戦の岩瀬日大戦に勝利し、意気が上がる水戸一ナイン(カメラ・加藤 弘士)
  • 笠間市民球場で3回戦の岩瀬日大戦に勝利し、意気が上がる水戸一ナイン(カメラ・加藤 弘士)

 折橋からスタメンを受け取ると、竹内の胸中には熱い感情がこみ上げてきた。

 「彼らの考えたメンバーは、私の草案と近似値で類似していました。異論は全くありませんでした」

 竹内は自身の高校・大学時代を振り返り、言った。

 「木内監督も練習試合で打順は決めますが、5点リードぐらいになると『後はお前らで好きにやってみろ』と試合を任せてくれたことがあったんです。大学時代も学生コーチと功力監督が意見交換をしてメンバーの選出をしました。それぞれ私にとっては新たな野球観を醸成する機会になりました」

 そして、こう続けた。

 「今、世間の部活動に対する風当たりが強かったり、ネガティブなイメージも報道されていますよね。でも、高校野球は楽しいし、素晴らしい。その素晴らしさを経験した私たち指導者は今後の野球界が良くなるよう、時代に合わせてアップデートしていく必要があると思っています。選手たちが自主的に考えて、監督は決断をサポートする。そんな双方向型の野球がやってみたかった。最後の最後に、できたと思います」

 「一蓮托生」をキーワードに戦い抜いた夏が、終わった。

 * * * * *

 試合後、竹内は1、2年生を集め、監督の座をコーチの木村優介へとバトンタッチすることを報告した。

 35歳の木村は水戸一時代に遊撃手として主将を務め、筑波大で野球を学んだ。奇しくも木村が大学入学時のコーチでもあった竹内は、今後も顧問として部に残る。

 就任中、1954年夏以来の甲子園出場はならなかった。しかし、竹内が残した確かな「財産」がある。

 「この10年間の教え子は20人近く、野球の指導者になりそうな目算なんです。今の大学生にも教員希望が結構います。ここで学んだことを、未来の子供たちにつないでいってほしいと思っています」

 伝統校ゆえに変革が生まれ、それが新たな伝統を生む。

 そして、白球を追う若者たちの「一球入魂」の精神は未来永劫、変わることがないだろう。

 新チームの挑戦を、飛田の胸像はきょうも見守っている。(加藤 弘士)=敬称略=

 ◆水戸一 1878年に茨城師範学校の予備学科として創設。校舎は水戸城跡にある。1950年に共学化。約70キロを一晩かけて歩行する名物行事「歩く会」はOGの直木賞作家・恩田陸によって「夜のピクニック」と題して小説化され、映画化もされた。主なOBは深作欣二(映画監督・故人)、山口那津男(公明党代表)ら。硬式野球部のOBには西鉄黄金期に外野手で活躍した玉造陽二、ヤクルト球団専務の江幡秀則らがいる。

多賀戦のイニング間に水戸一ナインへと指示を与える竹内達郎監督(カメラ・加藤 弘士)
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