女子大生スナイパー・平田しおり、4年で代表入り…29年ぶりの五輪メダル照準

膝射で構える平田(日本ライフル射撃協会提供)
膝射で構える平田(日本ライフル射撃協会提供)
立射で構える平田(日本ライフル射撃協会提供)
立射で構える平田(日本ライフル射撃協会提供)
東京五輪でメダル獲得が期待される平田しおり(日本ライフル射撃協会提供)
東京五輪でメダル獲得が期待される平田しおり(日本ライフル射撃協会提供)

 29年ぶりの五輪メダル獲得を目指す射撃界に、ヒロイン候補がいる。女子ライフル3姿勢で東京五輪代表の平田しおり(20)=明大=は高校で競技を始めた後、異例のスピードで頭角を現し、同種目では4大会ぶりに出場枠を獲得した。ライフル射撃の大学生代表は1996年アトランタ大会の岩城真美以来、25年ぶりの快挙だ。伸びしろ十分の20歳がこれまでの競技生活を振り返り、射撃界の未来を背負って1年後に臨む決意を語った。(取材・構成=林 直史)

 平田が競技を始めたのは2015年の高校入学後だった。小学校時代に水泳教室に通ったことはあるが、「スポーツは得意ではなかった」という。中学は家庭部で料理や裁縫に親しんだ。ただ、クレー射撃の選手だった父・展也さん(48)に連れられ、家族で何度か大会を観戦。父が撃つ姿に「かっこいい」と憧れの気持ちは抱いていた。

 「ずっと文化系だったので、高校で何か新しいことを始めたいなと思って。クレーは18歳からしかできない。ライフルは何度か(光線銃の)ビームライフルを体験していて、すごく面白かったのを覚えていた」

 高校に射撃部がなかったため、平日は書道部で活動しながら、週末は石川・能美市から両親の送迎で金沢市の医王山ライフル射撃場に通った。そこで出会ったのが、「全部の技術を教えてもらった管理人のおじいちゃん」の田賀時夫氏だった。

 「平日に学校が終わってから通うのは難しかったので、休日は朝9時から夕方まで一日中練習しました。平日も土日も練習できる射撃部のある高校と違って、練習時間は少なかったとは思うんですけど、田賀さんが練習メニューも全部考えてくださって、凝縮された練習ができたと思います」

 才能はすぐに開花した。競技を始めてわずか2か月後の北信越選手権大会で優勝。「すごい褒めてもらったのがうれしくて、頑張ろうって思いました」。3年時に国体で優勝。上京し、名門の明大に進学した。高校時代と異なり、毎日練習できる環境になったが、当初は慣れない一人暮らしや授業との両立に苦しんだ。

 「1年生の時はずっと授業を1限から5限まで取っていたので、土日にみっちりやっていた高校時代に比べて練習時間も減ってしまって…。一人暮らしを始めて環境の変化も影響したのかなと思います。高校の時よりも点数が下がってしまって、ナショナルチーム(NT)の選考会でも下の方。すごくつらかったです」

 それでも生活に慣れていくことで復調し、秋の新人戦で優勝。その数か月後、成長を再加速させた大会が訪れる。昨年2月のW杯ニューデリー大会。女子エアライフル(AR)で自己新の628・4点で7位に入った。東京五輪が初めて目標に変わった瞬間だった。

 「ニューデリーで入賞してから、もっと頑張ったら届くんじゃないかなって。それまで、自分が五輪なんて行けるわけないと思っていた。五輪の競技にライフル射撃があることを知ったのも高3ぐらい。国体で優勝して取材で聞かれたり、国際大会に出るようになって他の選手と話していて、『五輪あるんだ』って」

 初めてNTにも入り、合宿で射撃漬けの日々を送ると、成果は着実に表れた。昨年11月のアジア選手権で銅メダルに輝き、日本人最上位で五輪代表に内定した。種目はARではなく、スモールボアライフル(SBR)の女子ライフル3姿勢。3つの姿勢で計120発を撃ち、競技時間は2時間45分にも及ぶ。「ライフルのマラソン競技」と称される過酷な種目で、国・地域別の出場枠の獲得は女子で17年ぶり。火薬を用いるSBRは18歳からしか所持できず、11月が誕生日の平田は約2年で周囲を驚かせてみせた。

 「ARとSBRは銃の重さも変わって、同じ立射でも全く感覚が違う。姿勢も3つ(膝射=しっしゃ、伏射、立射)に増えて、最初は戸惑いました。ARでNTに入ったのに五輪(の出場権)はSBRで取って。(上位8人による)決勝に残れてびっくりしたし、周りからおめでとうと言われても実感はしばらくなかったですね」

 一気に駆け上がった夢の舞台は今年3月24日、新型コロナウイルス感染拡大により1年延期が決まった。4月には緊急事態宣言で都内の味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)や各地の射撃場が閉鎖され、練習ができない日々が続いた。

 「(当初開幕の)4か月後に向けて気持ちを入れて頑張ろうというところだったので、延期が決まった時は抜け殻じゃないですけど、どうしたらいいんだろうって…。しばらくはそういう感じだったんですけど、1年は大きい。練習時間も増えて、大会が始まれば経験も積める。今はプラスに考えています」

 5月に周囲の協力を得て地元で練習を再開すると、6月21日からはNTCでの合宿に参加し、大学のオンライン授業を受けながら感覚を戻している。不透明だった内定の扱いも7月11日に維持が決定。来年1~3月に開く指定の記録会でW杯決勝進出相当の1170点以上を1度か、1160点以上を2日続けて記録できなければ再選考とするハードルは設けられたが、前向きに受け止めている。

 「延期になってから、内定を維持するかどうかもはっきりしないままだった。また選考するのかなって。維持が決まってホッとしましたし、基準に設けられた点数も、国際大会で戦っていくにはちょっと低いぐらい。1180点やそれ以上を練習でも出していかないと試合でも出せない。このまま練習を続けていって、もっとレベルアップしたいと思います」

 ライフル射撃は選手寿命が長く、経験値も重要な要素だ。その中で規格外の急成長を遂げた20歳は、1年の延期でさらなる飛躍を目指す。銃の規制が厳しい日本は、世界との差が大きく、五輪では全種目を通じて92年バルセロナ大会を最後にメダルがない。競技人口の減少も深刻な問題となっている中で、射撃界の未来を切り開く活躍も期待されている。

 「NTのコーチの方たちにも『伸びしろはある』と言われて、育ててもらっています。結果にも全然満足していません。今は3つの姿勢の調子の波をなくして、いつも同じような点数を出せるように練習しています。五輪でも(自己ベストの)1183点を撃てれば通用すると思う。自分の100%か、それ以上を撃てるように頑張るしかない。日本が弱いイメージもちょっとずつ壊せているのかなと思いますし、競技人口も少ないので、自分が活躍すれば射撃を広めることにもつながる。そういったところでも貢献していきたいです」

 ◆平田 しおり(ひらた・しおり)1999年11月6日、石川・能美市生まれ。20歳。根上中、金沢伏見高を経て明大政治経済学部3年。射撃は高校1年で始める。小学1年から中学3年まで書道を習い、段位の上の優待生の腕前。「一枚一枚切り替えて集中することは射撃にもつながっている」。趣味はゲーム、漫画。160センチ、53キロ。家族は両親と妹。

 ◆五輪の射撃競技 1896年の第1回アテネ五輪で行われた8競技のうちの一つ。東京五輪では男子の3種目が削減され、混合団体10メートルエアピストルなど男女混合の3種目を採用。15種目が実施される。日本は1952年ヘルシンキ大会から参加し、日本クレー射撃協会が管轄するクレー射撃の1個を含め、通算6個のメダルを獲得。唯一の金は84年ロサンゼルス大会ラピッドファイアピストルの蒲池猛夫で、当時48歳だった。

膝射で構える平田(日本ライフル射撃協会提供)
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東京五輪でメダル獲得が期待される平田しおり(日本ライフル射撃協会提供)
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