【1996年7月27日】五輪開催中のアトランタで爆破事件 YAWARAちゃんの涙とシャックの笑顔の後で

アトランタ五輪柔道女子48キロ級決勝。ケー・スンヒ(左、北朝鮮)に判定負けし放心状態で畳に座り込む田村亮子
アトランタ五輪柔道女子48キロ級決勝。ケー・スンヒ(左、北朝鮮)に判定負けし放心状態で畳に座り込む田村亮子

 五輪100周年を記念したアトランタ五輪第8日を終え、さらなる盛り上がりが期待された直後、五輪史上でも大きな悲劇の一つとなってしまった五輪公園爆破事件が起きた。

 7月27日午前1時20分(日本時間同午後2時20分)頃、五輪選手村も近い五輪公園のステージ付近で突如、大爆発が起きた。隣接するジョージアドームでは、その数時間前にバスケットボール男子で米国チームが快勝するなど、多くの人がその日のスポーツ祭典の余韻を楽しんでいた。ステージではロックコンサートが開催中で、1000人近くが集まっており、死者2人、重軽傷者111人を出す大惨事となった。

 記者はその日(正確には26日)、柔道最終日から男子バスケを取材。宿舎に戻るため、爆破の1時間前に、そのステージ前を通っていた。昼間のように明るい照明の中、多くの人でなかなか前に進めないほどだった。もし、バスケ取材がもう少し遅くなったら…と思うと、24年たった今でも背筋が寒くなる。記者は公園を抜け、その先にあるプレスセンターに寄らず、そのまま40キロ離れた宿舎にタクシーで戻って原稿を書くことにした。これは我ながら、“良い判断”だった。爆発直後、各施設はロックアウトとなり、プレスセンターに入ろうとした記者の中には手錠をかけられ連行されたり、催涙ガスをかけられたりしたという。

 宿舎に戻った記者は朝まで情報収集。気がついたら午前7時過ぎ。わずか10分寝ただけで、翌28日に控えた女子マラソン選手の朝練習の取材に向かった。前日の競技取材で受けたショックと歓喜が交互に思い出され、さらに爆発事件の衝撃も加わって、いっこうに眠気など感じなかった。

 前日の柔道最終日。女子48キロ級で金メダル確実と言われた田村亮子(現姓・谷)が決勝で北朝鮮のケー・スンヒに敗れた。直後、畳の上でぼう然とする彼女の姿が忘れられない。90年のデビュー以来、取材してきた記者は、今度こそ金メダルと思い入れがあっただけに、冷静に取材しながらも内心動揺していた。彼女は気丈に勝者をたたえ、二人三脚で応援してくれた母・和代さんに「ありがとう」と笑顔を見せ、銀メダルを喜んだ。「集中できないままやられた。だって、人間だから。でも、…うん。人間でよかった。自分は人間でよかった」と冷静に振り返った記者会見終了後、日本の記者に囲まれたYAWARAちゃんがポツリと「どんな顔で日本に帰ればいいんだろう…」と言い、これまでこらえていた涙を流した。146センチの小さな体にかけられた大きな期待。たくさんの応援に応えられなかったことで自分を責めたのだ。仲の良い記者らに「いつもどおりに帰ればいい」と言われ、うつむきながらうなずいた姿がたまらなかった。

 そのショックを抱えたまま、男子バスケの取材に。その日は米国と中国の1次リーグ戦。チャールズ・バークレー、シャキール・オニール、ペニー・ハーダウェイらスーパースターぞろいのドリームチーム3は、米国五輪史上最多の133得点(―70)で快勝。やりたい放題とも思える試合展開と「楽しんで金メダルを取るつもり」と話したレジー・ミラーやシャックらの笑顔に、楽しい取材ができたと、夕方のショックが少し癒え、帰路に就いた直後の爆発事件だった。もしかしたら、ドリームチームの試合に合わせた犯行だったかもと思うと、背筋が寒くなった。

 女子マラソンでは銅メダルを獲得し、2大会連続メダルとなった有森裕子の姿に感動した。「よろこびを力に」という言葉を胸に刻み、日本女子初の快挙を達成した。悔し涙、悲しい涙、うれし涙…様々な涙に胸を締め付けられた2日間だった。(記者コラム・谷口 隆俊)

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