【五輪トリビア】人見絹枝、敗退から涙の出場直訴

 日本の女子選手として初めて五輪に出場したのは、1928年アムステルダム大会陸上の人見絹枝だ。元々はテニスをしていたが、岡山高等女学校(現・岡山操山高)時代に出場した陸上の大会の走り幅跳びで優勝し、陸上に本格転向。大阪毎日新聞に入社後、国際大会でも優勝するなど結果を残し、女子の出場が認められた28年五輪に挑んだ。

 大会直前まで世界記録(12秒2=非公認)を持っていた100メートルは準決勝敗退。泣きながら800メートル出場を直訴した。同種目は公式戦経験がなかったが、8月2日の決勝では2分17秒6で2位。ゴール直後には優勝したラトケ(ドイツ)と失神するなど死力を尽くして銀メダルを獲得した。

 その後も国際大会や女子スポーツの普及など休みなく活動を続けた人見だったが、病に倒れて入院。五輪でメダルを勝ち取ってからちょうど3年後の31年8月2日、乾酪性肺炎によりわずか24歳で他界。疾風のように駆け抜けた人生だった。

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