東京五輪まで1年という時間は「一度立ち止まり自分を見つめ直すチャンス」…“世界の鉄人”室伏広治氏から後輩たちへ

ロンドン五輪を控えた2011年、ナショナルトレセンでの練習で夕暮れの中、ハンマーを投げる室伏氏
ロンドン五輪を控えた2011年、ナショナルトレセンでの練習で夕暮れの中、ハンマーを投げる室伏氏

 東京五輪・パラリンピック大会組織委のスポーツディレクター(SD)を務める2004年アテネ五輪陸上男子ハンマー投げ金メダルの室伏広治氏(45)が、五輪まで1年の節目を迎えるにあたり、スポーツ報知の単独インタビューに応じた。新型コロナウイルス感染拡大による大会延期に戸惑いを隠しきれない選手も多い中、世界の鉄人は「一度立ち止まり、競技者としての幅を広げるチャンス」と、豊富な経験を踏まえて激励のメッセージを送った。

(取材・構成=太田 倫、小河原 俊哉)

 東京五輪まで1年という時間ができた。僕ならこの時間を競技者としての幅を広げることに使う。現役時代は競技だけをやればいい、という考えでやっていなかった。選手だからといって24時間練習しているわけじゃない。こういう時だからこそ、果敢に他のことにもチャレンジし、自分を向上させるために時間を使ってほしい。これまで体験してこなかったことをしたり、知識を学んだり…。自分の力、パフォーマンスを発揮できる機会を失うのは残念だが、この時間は、一度立ち止まり自分自身を見つめ直すチャンスだと前向きに考えてほしい。

 僕は現役時代に2年間、ほとんど試合に出なかった時期がある。金メダルを獲得したアテネ五輪の翌年の2005年と、5位入賞の北京五輪の翌年の09年だ。疲労や故障もあり、出場は難しい状況だった。

 ただ、この2年はずいぶん研究活動が進み、学位も取れた時期でもあった。そこで考えたトレーニングの方法、理論はその先、さらに競技を長く続けていく上で不可欠になった。その2年がなければ40歳を超えてまでハンマー投げをできなかったと思う。もっと時間が欲しいと思ったくらいだ。

 09年は、中京大で指導していた平泳ぎのエキスパート・高橋繁浩さん【注1】に泳ぎを教わった。学生と一緒に早朝のプールに通い、練習に励んだ。平泳ぎは、ただ腕をかけばいいわけじゃない。最初の基本姿勢「蹴伸び(けのび)」で真っすぐ浮き姿勢が作れないと泳げない。最初はできなかった。どんなことも基本があり、その土台があって伸びていくと改めて学んだ。毎日通ううち、スタートからふたかきで25メートル先のゴール板に手がつくようになった。

 自分の専門競技以外でも真剣に熱中すれば「インプルーブ(improve=改良、改善、磨くの意)」できる。それが楽しかった。今までと違う筋肉もつき、体も回復した。ハンマー投げに戻った時、「教わるプロセス」を思い返し、我慢して練習できるようにもなった。

  • カヌー・羽根田卓也(左)の筋力トレを指導する室伏氏
  • カヌー・羽根田卓也(左)の筋力トレを指導する室伏氏

 水泳以外にも投網や、手裏剣にもチャレンジした。あえて長い距離を走ったり、サイクリングなどの有酸素運動を取り入れたこともある。カヌーの羽根田卓也選手がお茶を学んだり、いろいろなことに取り組んでいるが、その行動は正しいと思う。普段の競技生活ではできないことだから。人間というのは、新しいアイデアや素晴らしい考えは頭がフレッシュじゃないと出てこないものだ。

 延期でモチベーションを失いかけた選手もいるだろう。トレーニングができなくなった選手、五輪に限らずとも本当に目標としていた試合がなくなってしまった選手、今年を最後にしようと決心していた選手もいると思う。前向きに捉えるのは簡単ではないかもしれない。ただ、競技以外のことに幅を広げてみれば、今やっていることが最高の道とは限らない、と気づける可能性がある。長く準備できることをアドバンテージにしてもらいたい。

 一人で問題を抱え込まないで、とも伝えたい。いくらメンタルが強い選手でも、コーチの支えがなければ、この状況を乗り切っていくのは難しい。指導者の方には、前向きに、できることを的確に伝え、選手と同様に視野を広く持ってほしい。落ち込んでいても本心が言えないアスリートもいる。長いスパンで考えて頑張ろう、という言葉で選手は救われる。

 コロナ禍は、五輪やスポーツの持つ意義を改めて考える契機になった。自粛期間中に、体を使うことや健康に対し、一般の方の興味も深まったと感じる。SNSも使い、アスリート発で「こんなトレーニングをしている」「こういうトレーニングをしましょう」というムーブメントが起きている。

 今は逆に、スポーツの素晴らしさを分かってもらえるチャンスでもある。体を動かさなければ太ったり、不健康にもなる。心の余裕もなくなり、家庭内がぎくしゃくしたりするケースもあるようだ。スポーツには前向きな力があると思う。アスリートは自分の競技をするだけではなく、体を動かす重要性をどんどん発信していってほしい。

 東京五輪にはSDとして関わってきた。僕が考える五輪成功の定義はシンプルで、選手が競技をしっかり最後まで行えた、ということ。全てのアスリートが安心、安全に競技ができる環境を作るのをモットーにしている。リオ五輪はブラジルの財政状況が極めて悪く、大会前にはジカ熱の問題が起こった。それでも現地の組織委は競技に関して課題に的確に対応し、結果的に成功に導いていた。

 今、僕らは未体験の状況にいる。延期は当然初めてで、先の見通しもつかない。IOC、国際競技団体(IF)、組織委、メディカルスタッフ…みんなが歩調を合わせ、横の連携を取っていくことが大事になる。団結して乗り越えた先に、スポーツによって社会に光が出てくればいい。それが今、全てのスタッフが目標にしているところだ。

 「虚室生白(きょしつしょうはく)」という言葉がある。荘子【注2】のもので、昔から僕の好きな言葉だ。「白」は光を指す。全て家のものを持って行かれ、一文無しとなってしまったが、空っぽの部屋で窓を見上げると、太陽の光が差し込み明るくなっている―。そういう意味だ。

 絶望的な状況に置かれて初めて、光に気づくこともある。空っぽな状態の方が物事を考えられることだってある。懸命に取り組んだ先に、全く違う発見に至ることもある。

 競技を一生懸命やる過程で周りが見えなくなる選手もいる。メダルや勝負、記録だけじゃなくて、自身を向上させることが一番楽しいと気づいてほしい。1センチ、1ミリでも向上し、一日でも長く競技できるように、コンディションを整えて頑張ってもらいたい。視野を広げ、何ができるかを自らに問うてほしい。そんな願いも込めて、この荘子の言葉を最後に贈りたい。

 ※注1 競泳平泳ぎの元五輪代表。1980年モスクワ五輪選考会で泳法違反で失格に。84年ロス五輪に出場。後に引退も復帰し、88年ソウル五輪に当時の最高齢27歳で出場し、自身の200メートル平泳ぎの日本記録を10年ぶりに更新。現中京大水泳部監督。
 ※注2 中国の紀元前の思想家で、道教の始祖の一人。「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」「明鏡止水」など、現在でもポピュラーな名言、格言多数。

 ◆室伏 広治(むろふし・こうじ)1974年10月8日、静岡・沼津市生まれ。45歳。陸上・ハンマー投げで3度五輪に出場(80年モスクワ大会は代表選出も日本がボイコット)した重信氏を父に持ち、千葉・成田高から同種目を始める。中京大3年の95年から日本選手権同種目20連覇を達成。五輪は2000年シドニーから4大会連続出場し、04年アテネ金、12年ロンドン銅。11年大邱世界陸上で36歳325日の同大会男子最年長優勝を達成。16年に現役引退。現在は東京五輪・パラリンピック組織委員会スポーツディレクターのほか、東京医科歯科大スポーツサイエンス長などの要職も務める。187センチ。

ロンドン五輪を控えた2011年、ナショナルトレセンでの練習で夕暮れの中、ハンマーを投げる室伏氏
カヌー・羽根田卓也(左)の筋力トレを指導する室伏氏
11年、大邱世界陸上決勝の室伏氏
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