自らも高校サッカーの名門・市船橋高で活躍し、芸能界きってのサッカー通として知られるお笑いコンビ「ペナルティ」のヒデ(49)がスポーツ報知の取材に応じ、J1リーグ再開を喜んだ。中咽頭がんで闘病している相方のワッキー(48)に励ましのメッセージを寄せたJリーガーにも感謝。近い将来のコンビ活動再開を視野にJリーグの魅力を語った。(構成・高柳 義人)
待ちに待っていたJリーグが再開しました。このステージを用意してくれた医療従事者やサッカー関係者に感謝しますし、そういった方々の思いとサポーターの思いを背負ってユニホームに袖を通し、スパイクのひもを結んでピッチに出てくる選手を見て胸が熱くなりました。
サッカーのない週末がこんなに寂しいものだとは思いませんでした。あって当たり前だったので…。ブランクは当然あると思います。ボクらもステイホーム期間中は仕事がなくて、久々にしゃべったら声がガラガラで。大オチ前に痰(たん)がからんだり…。世界的なプレーヤーでも試合勘とか、パスのずれや不具合もある。全力で走りきる姿を見られただけでうれしいです。えっ、一緒にするなって?
いいことばかりではない。これがフットボールだと思います。小学生の時に300円のチケットで国立(競技場)のガラガラの日本リーグ時代を知っていますから。(コロナでの中断は)今後あってほしくないですけれど、忘れられないシーズンになると思います。中断期間中にしっかり準備したチームが勝ちを重ねると信じています。過密日程になって、交代枠が5人になって、選手のモチベーションも上がると思います。(Rマドリード監督の)ジダンを見習ってほしい。思い切って、いろいろな選手を試してカードを切っていく。90分間、いい意味で活性化するんじゃないかと思っています。
ようやく第一歩。コロナが落ち着いて、満員のお客さんが安心して集まって、スタジアムの名物料理を食べて、手をつないで家族で帰る後ろ姿を見て、初めて本当の再開といえると思っています。
相方が病気になって、浦和の槙野(智章)くんが中心となってサプライズで励ましてくれた。(映像では)カズさんから始まって、イニエスタが『頑張れ、ジャッキー』って。それじゃ香港のスターですよ。相方がこんなに人望があるんだと驚きましたよ。涙もろいやつなんで号泣していると思いますよ。本当にありがたみを感じています。
僕らは選手とサポーターの次の13番目くらいのポジションだと思ってサッカーを応援しています。相方の“復帰ギャグ”はガンガンハードルを上げて簡単に飛び越えられないようにしています。僕らは“ニコイチ”なんで。サッカーと同じで一人ではできない。現在はコンビ活動は中断中ですが、Jリーグのように早く“再開”したいです。2人でJリーグもお笑いも盛り上げていきたいですね。
イニエスタ「頑張れジャッキー」
◆ワッキー、今月下旬にも退院
先月7日にワッキーが中咽頭がんを公表したことを受け、同19日にJ1の17クラブの選手たちが応援動画を送った。選手が勢ぞろいして言葉をつなぎ「絶対に打ち勝ってくれるとそう信じてます」「帰ってくるまで僕たちが責任を持ってファンの皆さんを楽しませることを誓います」とメッセージを寄せた。
この動画にワッキーはツイッターで「みなさんのメッセージが僕の中でとんでもないパワーになっています!」と感謝。Jリーグ公式ツイッターも「いつまでもJリーグはワッキーさんの味方です」とつぶやいた。 ワッキーは先月8日に入院して放射線化学療法などの治療を受けており、今月下旬に退院予定。8月いっぱいは療養するという。
〇…国を問わず多くのサッカー選手と親交があるヒデが大事にしているのが、大前元紀(現・群馬)の清水時代のサイン入りユニホームだ。「ボクの中で高校サッカーあがりのヒーロー」。ロナウジーニョにサインするかと問われても断った経験があるヒデが唯一、サインをお願いしたという。ユニには当時の選手のサインがびっしり。「エゴイストなのはボールを持った時だけ。周りに気を配れるのが10番を背負うということ。サッカーは一人じゃないというのを象徴しています」とお気に入りのユニだ。
◆ヒデ 本名・中川秀樹。1971年4月7日、千葉県船橋市出身。49歳。市船橋高2年時にサッカー部レギュラーとして全国高校サッカー選手権準優勝、インターハイ優勝。専大在学中に横浜Fからスカウトされたが、94年に高校、大学の後輩・ワッキーを誘い「ペナルティ」を結成、銀座7丁目劇場のオーディションに合格しデビュー。「家電芸人」としても有名。YouTube「ペナルティちゃんねる」でも積極的に配信。174センチ、69キロ。