ラ・サール出身・阿部龍也、競輪選手挑戦5月養成所入り 東大不合格で英国留学…異色の経歴27歳の夢

ラ・サール高校卒業の秀才・阿部。競輪選手を目指して奮闘中
ラ・サール高校卒業の秀才・阿部。競輪選手を目指して奮闘中
第1回記録会で激走する阿部
第1回記録会で激走する阿部
手先が器用な阿部。自転車整備もおてのもの
手先が器用な阿部。自転車整備もおてのもの

 東大の合格者は多数。全国屈指の進学校であるラ・サール(鹿児島)高校出身の競輪選手が、誕生しようとしている。日本競輪選手養成所第119期生の阿部龍也(27)=山口=がその人だ。大学受験に失敗し、英国留学、そして板金業。競輪、スポーツとは無縁の世界からプロを目指している。

 異色の経歴の持ち主だ。超進学校のラ・サール高出身。ラ・サールでピンとこなければ、タレントのラサール石井を思い浮かべてもらいたい。東大の合格者数もトップクラス、医学系の大学に進む生徒も多い。どう考えても競輪とは結びつかない。

 「勉強しかしてこなかった」阿部だが、東大の受験に失敗(理科1類)。初めての挫折を味わった。「高校の総合順位が17位だったんです。当時、学内で25位以内なら東大合格と言われていて…。自信もあったし、合格できると思っていた。センター試験は良かったんですが、二次試験の数学が全然だめでした。甘かったんです」と振り返った。不合格なら浪人すればとも思うのだが阿部は違った。「3年間、東大だけを目標に勉強してきた。学校が休みでも下宿先に籠もって勉強。外出は年に数回程度。全てを犠牲にしてきたのに合格できなかったんだから、これが僕の実力」とキッパリ諦めた。東大からパイロットになる夢を抱いていたが「それも漠然とでした。同級生は医師になるとかはっきりとした将来像があったみたいですが、僕にはなかった」。

 ラ・サールから大学に進学しないのは珍しい。行き先を失った阿部は母からのアドバイスで2011年9月、英国に旅立った。しかし、はっきりした目的がなかった阿部は、翌年9月に帰国。「留学している日本人は皆、経済を学びたいとか政治を学びたいという目的があった。その中で僕は何もなかったし、果たしてこれでいいのかと思った。それに両親の負担も大きいから」

 帰国後は塾の講師やパン工場で働きながら生計を立てた。そして「昔から自動車が好きだった」との理由で、自動車関連の会社に就職し、板金作業を担当。ラ・サール→東大受験失敗→英国留学→塾講師・パン工場・板金とここまでの歩みも興味深い。だがどうして競輪なのか? 「会社まで片道約15キロを自転車で通勤したんです。往復30キロ、日に日に自転車に乗ることが楽しくなって」。理由は何だっていい。勉強以外で夢中になれるものを見つけた。たまたま遠縁に競輪選手の白井圭一郎(引退)がいて「競輪をやりたい。他の世界を見てみたい」と直訴。

 そうは言っても簡単に選手になれるほど甘い世界ではない。白井から桑原大志(44)=山口・S級1班=を紹介され、弟子入り。117期生の試験を受けたが、人生2度目の不合格。だが精神的に成長した阿部は諦めなかった。東大受験は1度だけだが、競輪養成所は何度でも合格するまで受ける覚悟を決めていた。来る日も来る日もペダルをこぎ続けた。「絶対に諦めない、僕は競輪選手になるんだ」と自らを奮い立たせた。進むべき道は競輪しかない。20年1月、2度目の挑戦で見事に合格を果たした。

 新型コロナウイルスの影響で、入所も遅れた。17日に行われた第1回の記録会では200メートルフライングダッシュ(FD)が11秒31、400メートルFDは23秒85。1000メートルタイムトライアル(TT)は1分11秒26、3000メートルTTは3分56秒62だったが、手応えはつかんだし、充実感を得ることができた。「今は本当に幸福です。やっとこれしかないというものに出会えたから。大きなことは言えませんが、S級で活躍できるようになりたい」。過去、京大大学院出身の選手もいたが、S級には届かず引退した。27歳、高校を卒業してから遠回りはしたが、今が1番輝いている。(永井 順一郎)

 ◆阿部 龍也(あべ・りゅうや)1993年1月12日、山口県防府市生まれ。27歳。山口大学教育学部付属山口中学から、ラ・サール高校に進学。学内ではトップクラスの成績も、東大受験には失敗。趣味はドラム。175センチ、79キロ。血液型O。

ラ・サール高校卒業の秀才・阿部。競輪選手を目指して奮闘中
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