中田キラーの植松優友さん「今を大切に。先のことは頑張ってから考えればいい」…代替大会に出る君へ

金光大阪時代には“中田キラー”と呼ばれた植松さん。代替大会に出場する球児にエールを送った
金光大阪時代には“中田キラー”と呼ばれた植松さん。代替大会に出場する球児にエールを送った
個人レッスンで指導する植松さん
個人レッスンで指導する植松さん
2007年大阪桐蔭を下し甲子園出場を決めた金光大阪・植松優友さん
2007年大阪桐蔭を下し甲子園出場を決めた金光大阪・植松優友さん

 夏の甲子園への道が絶たれた高校野球。7月からは全国各地で代替大会が始まる。2007年夏の大阪大会を制した金光大阪のエースで、ロッテで8年間プレーした植松優友さん(30)が、当時の思い出を語り、教え子や全国の球児へエールを送った。

 一人ひとりと向き合い、植松さんは野球を教えている。ロッテで15年に現役引退後、1年間球団の裏方として働き、17年からは建築の現場監督、そして19年1月からは「野球個人レッスンSLEZON(セレソン)」に在籍し、小学生から大人まで幅広い依頼者にマンツーマン指導している。週末は横浜金沢リトルシニアでもコーチを務める。

 「野球を通していろいろな経験をさせてもらったので、今度は野球に恩返しをしたいと思っています。野球人口も減っているので、少しでも増やしたいですね」

 “中田キラー”と呼ばれた金光大阪での経験が財産だ。甲子園出場へ地方大会で最大の関門となるのは、同学年のスターだった中田翔(現日本ハム)を擁する大阪桐蔭。そのため1年の冬から中田のモノマネをした監督が右打席に立つ中でブルペンで投げ込み、2年冬には練習に加え、学校の休み時間や練習後もトレーニング。食事量を増やして10キロ増量するなど、ライバルを倒すため、懸命に汗を流した。

 その成果もあり3年夏の大阪大会決勝で中田を5打数無安打に抑えて大阪桐蔭を破り、甲子園に初出場した。ただ2年夏の初対戦から計13打数無安打に抑えて“中田キラー”として脚光を浴びても、感慨に浸ることはなかった。「とにかく桐蔭に勝つことだけ意識して練習していたので、勝った時はうれしかったけど、本当に苦しかったから勝ったのも当たり前だって思いました」。全てをささげて汗を流してきたからこそ、口に出た言葉だった。

 新型コロナウイルスの影響で史上初めて春夏甲子園が中止。今、高校球児たちは各地区の代替大会に向けて練習に励んでいる。植松さんは自身の過去を振り返り、こんなメッセージを送った。「とにかく目の前の(代替)大会に向けて頑張ってほしいですね。とにかく今を大切に過ごしてほしい。この先のことは今頑張ってから考えればいい。僕もそうやって過ごしてきたので」(取材・構成=後藤 亮太)

 〇…植松さんが在籍する「野球個人レッスン SLEZON(セレソン)」では、初心者の小学生から草野球でプレーする大人までレッスン生を募集している。都内、神奈川県内はもちろん、全国各地からのレッスン依頼にも対応。チケット制で1回券(1回120分)、5回券(1回60分)など、さまざまなプランが用意されている。

 ◆植松 優友(うえまつ・まさとも)1989年11月27日、大阪府生まれ。30歳。北天満小5年からソフトボールを始める。中学では軟式野球部。金光大阪で投手に転向し、1年秋からベンチ入り。3年時に甲子園出場を果たしたが、初戦で神村学園(鹿児島)に3―6。07年高校生ドラフト3巡目でロッテに入団し、15年限りで現役引退。プロ通算2試合で、0勝2敗、防御率7・88。183センチ、83キロ、左投左打。

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