【2006年6月24日】「オシムって言っちゃったね…」川淵会長の日本サッカー史に残る失言

次期日本代表監督について失言した日本サッカー協会・川淵会長(左から2人目)が、足早に会見場を後にする(右は釜本氏)
次期日本代表監督について失言した日本サッカー協会・川淵会長(左から2人目)が、足早に会見場を後にする(右は釜本氏)

 2006年ドイツW杯。ジーコ監督率いる日本代表は躍進が期待されていたが、1次リーグF組で1分け2敗の最下位で大会を終えた。

 ドイツW杯がいよいよ佳境に入るという6月24日、日本代表は早々と帰国した。当時、サッカー担当の留守番班だった私は成田空港に出迎え取材に行った。

 空港近くのホテルで行われた日本サッカー協会・川淵三郎会長(当時)の会見で、まさかの失言が飛び出した。会見場の前列にいた私は、椅子から転げ落ちそうになった。

 反町康治監督が率いることが内定していた2008年北京五輪代表と次期A代表の監督の関わりについて問われた川淵会長は、こう答えた。

 「反町監督がオリンピックチームを見てもらい、そして、そのスーパーバイザー的な総監督としての立場でオシムが、いや、オシムじゃない…。あの~…オシムって言っちゃったね」

 川淵会長は、次期日本代表監督として、当時は千葉の指揮官で、交渉段階にあったイビチャ・オシム監督の名を口走った。テレビカメラ6台、報道陣約100人が詰めかけた会見場は、一瞬、静まり返った後、どよめいた。

 その後、川淵会長は、しどろもどろに釈明した。「話の過程で口走ってしまって、これをまたウソをついて取り消すのも変な具合だし、どうするかねえ…。あんまり、頭が整理されていない段階で口走ってしまったんだけど。う~ん。ここで(報道陣が)聞かなかった話にはならないだろうね。う~ん…。ちょっと田嶋(幸三)技術委員長(現会長)と話をさせてください」

 会見は、異例、かつ突然の“ハーフタイム”に突入した。約10分後に田嶋技術委員長同席のもと、会見が再開された。「史上最大の失言です。シーズン中なので千葉の選手、関係者に十分に配慮しなければならない。来週以降、田嶋が交渉を行います」と川淵会長は苦渋の表情で話した。

 まさに川淵会長自身が言う通り、日本サッカー史に残る失言となった。

 「ドイツW杯で日本代表の惨敗から目をそらすため、わざと次期監督の名前を漏らしたのでは」「名演技だ」という懐疑的な声も多く上がったが、現場で取材していた私は、そうは思わなかった。

 川淵会長がJリーグのチェアマンだった1993年から取材を続けていた。2002年、川淵会長は日本サッカー協会のトップに就任する際、正式名称の「会長」とは別に愛称を募集した。私は意味が分かりやすい「キャプテン」を提案した(他にも数人の方が「キャプテン」を提案)。結局、愛称は「キャプテン」となった。

 2006年当時、サッカー担当のサブキャップだった私はキャップの先輩と共に川淵会長を密着取材していた。しかし、決して“癒着”はなかった。川淵会長は、失言をしてしまうほど、サービス精神旺盛だが、自宅での取材は家族と近所に気を使って厳禁。ただ、それでも、どうしても、聞かなければならないことがある時は重い足を引きずって、ピンポンを鳴らした。そして「家には来るな、と何度も言っているだろう!」と怒られたことは一度や二度ではない。緊張感がある関係性だった。

 「言っちゃったね…」と言っちゃった川淵会長を擁護するつもりはない。川淵会長自身が認める通り「失言」だからだ。

 ただ、日本代表チームの惨敗から目をそらすためにわざと失言したのではない。そんな姑息(こそく)な手を使う「キャプテン」ではない。33歳年下ながら川淵キャプテンの“名付け親”の一人として、当時も今も、そう思っている。

 ちなみに会見が行われたホテル日航ウインズ成田は、その後、東横イン成田空港本館となり、現在は厚生労働省の要請によって新型コロナウイルスPCR検査の結果待ちの間、一時的に隔離対象となる人々の待機・滞在する施設として一棟貸し出しが行われている。

 14年という歳月を改めて感じる。(1993~94年、96~2002年、2006~10年サッカー担当・竹内 達朗)

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