【札幌】固い絆でコロナ前よりいいクラブへ…担当記者が読み解く

18年9月15日、川崎に0―7で敗れ、サポーターに挨拶する札幌イレブン 
18年9月15日、川崎に0―7で敗れ、サポーターに挨拶する札幌イレブン 

 4月3日、札幌のクラブハウス内の扉は固く閉ざされていた。選手以外の立ち入りが禁止された場で、MF宮沢裕樹主将が切り出した。「自分たちはチームがあってこその選手。クラブが困っている以上、俺たちが助けないと」。給与の一部返上を申し入れるという、異例の決断を下した。

 1996年の創設から数年、最北端のチームへの移籍を拒む選手は少なくなかった。役員や選手の不祥事も絶えず、財政も不安定だったクラブに2013年、元Jリーガーの野々村芳和社長が就任。翌年度に債務超過も解消と、潮目が変わっていった。08年から生え抜きの宮沢は言う。「以前の札幌は他チームへステップアップする場。そういうクラブなら選手も愛着は持てないが、今はみんなが札幌のためにと思っているから、給与の話にもなった」。言葉だけでない団結力が着実に培われている。

 クラブ愛が深まった一戦がある。18年9月15日のアウェー・川崎戦。最大震度7を記録した北海道胆振(いぶり)東部地震から9日後の戦いで、クラブ史上最多タイの7失点を喫し、0―7で敗れた。試合後、サポーター席に向かった選手を予期せぬ反応が待っていた。DF福森晃斗は「ブーイングを覚悟してたのに、泣きながら大声で『コンサドーレ、コンサドーレ』と励ましてくれて。ふがいなさに涙が出た。その時、サポーターも一緒に戦ってくれている。J1に食らいつかなきゃいけないと、強く思った」。同年をクラブ史上最高の4位で終え、J1定着へとつなげた。

 今の札幌のスローガンは「コロナ前よりいいクラブになろう」。5億円以上の損失が見込まれるが、野々村社長は「来たるべき時が来るまでは」と給与削減は棚上げ。新規スポンサー獲得に力を注ぎ、協力企業も増えた。選手がチームやファンを思い、周囲も最高の環境作りへ努力を惜しまない。結ばれた絆は、コロナ禍をも乗り越える、固くて大きなものと確信している。(札幌担当・砂田 秀人)

 ◆北海道コンサドーレ札幌 1996年、JFL東芝の札幌移転に伴い創設。97年にJFLを制し、翌年J昇格。99年はJ2も、翌年リーグ優勝し、J1昇格。2003年にJ2降格後は08、12年と、17年から今季までJ1。札幌・宮の沢に、運営会社コンサドーレの事務所と練習場を構える。チーム名は北海道生まれの人を表す「道産子」を逆に読み、「オーレ」の掛け声をつけたもの。本拠地は札幌ドーム(収容3万8794人)。

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