【1894年の6月23日】国際オリンピック委員会(IOC)の創立記念日 近代五輪の父、クーベルタン男爵が提唱

五色からなる五輪のシンボルマーク
五色からなる五輪のシンボルマーク

 126年前の1894(明治27)年6月23日は、国際オリンピック委員会(IOC)が設立された日だった。「近代五輪の父」と呼ばれる、フランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵が古代五輪の歴史書「オリュンピアの祭典」に感銘を受け、世界平和の実現に近代五輪の設立を提唱。五輪復興の国際会議が1894年の6月23日に開催され、2年後の1896(明治29)年に古代五輪発祥の地、アテネでの第1回大会を開催することを決議した。五色(青・黄・黒・緑・赤)からなる五輪のシンボルマークは、クーベルタン男爵が古代ギリシャのデルフォイ祭壇の紋章を参考に、1914年に考案したもの。第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)のIOC総会で6月23日が「オリンピック・デー」に定められ、この日は各国の国内委員会(NOC)でオリンピックムーブメントの一環として、記念イベントが実施されてきた。

 本部はスイス・ローザンヌで加盟数は206の国と地域。公用語は公式の解釈として使用するフランス語が第一言語、次いで英語となっており、IOCでのすべての会議は仏英2か国語で運営される。また「オリンピック賛歌」は国際式典において、国歌と同様の扱いを受ける。

 【歴代会長】

 IOCの初代会長は古代五輪の発祥地の地、ギリシャ出身のディミトリオス・ヴィケラス氏で、クーベルタン男爵は第2代会長を務めた。現職でドイツ出身のトーマス・バッハ会長は第9代で、母国のドイツ語のほか、スペイン語・フランス語・英語に堪能。また西ドイツ選手として出場した1976年モントリオール五輪では男子フェンシングフルーレ団体の金メダリストでもある。

【東京五輪・パラリンピック招致決定時の会長は】

 2020年の夏季五輪パラリンピックの開催都市が東京に決まったのは2013(平成25)年9月7日のブエノスアイレスでのIOC総会。記憶にも新しい、「TOKYO」のカードをひっくり返して発表したのはベルギーの貴族で、整形外科医のジャック・ロゲ会長だった。セーリング競技で68、72、76年に3大会連続で五輪にも出場した。

 【五輪の商業化】

 五輪の商業化とプロ選手への門戸開放を推進したのが、第7代会長を務めたスペイン出身のフアン・アントニオ・サマランチ氏(2010年に死去、享年89)。五輪にスポンサー制度を定着させるとともに、テレビ放映権料の高騰によって巨額の資金を獲得し、IOCの財政基盤を確立。五輪を「最高の選手による最高の競技会」にする目標を掲げ、バスケットボールやアイスホッケーなどでプロ選手出場の道を開いた。

 80年モスクワ五輪での西側諸国、84年ロサンゼルス五輪での東側諸国のボイコット合戦を教訓に、各国首脳と積極的に会談を重ねた。国連とも協調し、紛争国に対して「五輪休戦」を呼び掛けるなどIOCの政治的安定に努力した。

 一方で21年間の在職中にIOC委員の定年を延長し、自らの会長任期を延ばすなど強引な組織運営には批判もあった。五輪の肥大化、ドーピング違反の増加への対応にも苦慮した。

 02年ソルトレークシティー冬季五輪招致で、複数のIOC委員が過剰な接待を受けたことが発覚。五輪史上に残るスキャンダルとして責任を追及され、米議会の公聴会にも呼ばれたことがある。

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請