【箱根への道】青葉昌幸新監督、第一線復帰の“大御所”が母校・日大を復活へ導く

日大の新監督に就任した青葉昌幸氏
日大の新監督に就任した青葉昌幸氏

 箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟(関東学連)の青葉昌幸(よしゆき)名誉会長(78)が、6月1日付で母校・日大の監督に就任した。大東大の監督時代に箱根駅伝優勝4度。昭和と平成の時代に大学駅伝界のトップに立ち、さらに関東学連の会長まで務めた“大御所”が令和に現場の第一線に復帰した。監督としての信念、就任の経緯、名門復活へのロードマップなど単独インタビューですべてを語った。(取材・構成=竹内 達朗、太田 涼)

 1990年度に大東大の監督として史上初の学生駅伝3冠に輝いてから約30年。日大の青葉新監督が、大東大監督を退任した2000年以来20年ぶりに現場の最前線に復帰した。昭和と平成の時代と変わらないもの。令和の時代で変わるもの。その両方を持って戦うつもりだ。

 「私は特に駅伝が好きというわけではない。陸上競技が好きなんです。だから、関東インカレ(学生対校選手権)と日本インカレを重視する。その方針は全く変わりはありません」

  • 青葉監督が率いた大東大が3度目の総合優勝を飾った1990年箱根駅伝。青葉氏は日大監督として再び頂点に挑む
  • 青葉監督が率いた大東大が3度目の総合優勝を飾った1990年箱根駅伝。青葉氏は日大監督として再び頂点に挑む

 大東大を指導していた当時、青葉監督には独特の駅伝メンバー選考基準があった。関東インカレ、あるいは日本インカレの長距離種目で入賞した選手は、故障がない限り箱根駅伝出場を確約した。

 「それは日大でも同じ。(新型コロナウイルス感染拡大の影響で)関東インカレの5月開催は中止されたが、9月の日本インカレで入賞した選手は必ず駅伝で起用する。夏合宿を優先し、日本インカレに出場しないチームもあるが、日大はベストメンバーで臨みますよ」

 16日に78歳の誕生日を迎えた。昨年3月に当時73歳で退任した拓大の岡田正裕前監督より先輩の大ベテランは、変化を恐れず、時代に合った指導も取り入れている。

 「昔は『ターザントレーニング』と名付けて、選手と一緒に体育館の天井につるしたロープを登ったりしていた。今は長距離選手に必要とされる筋力トレーニングを専門のトレーナーに任せています。その一方で長い距離をじっくりと走り込むという基礎は変わりません」

 日大は箱根駅伝出場89回(歴代2位タイ)、優勝12回(同3位)を誇る名門だ。しかし、今年の箱根路では18位に終わり、6年連続でシード権を逃した。その結果を受け、6月1日付で武者由幸前監督(36)が退任して大学の一般職員となり、関東学連の会長まで務めた“大御所”に白羽の矢が立った。青葉監督は就任の経緯を明かした。

 「5月18日に田中英寿理事長(73)から『監督をお願いしたい』という話があった。強い日大を復活させたいという理事長の熱意を感じ、引き受けることを決めた。それに、あの理事長の怖い顔で頼まれたら断れませんよ(笑い)」

 就任から間もないが、名門復活へ確かな手応えをつかんでいる。

 「思っていたよりチーム状況はいい。伸びしろのある選手がたくさんいる。留学生のチャールズ・ドゥング(2年)は新型コロナウイルスの影響で、まだケニアから戻って来ていないが、実業団を経験している24歳の大人なので心配していない。(昨年、結婚した)奥さんとの間に子供もできた、と聞いた。責任感を持って、しっかりケニアで練習しているでしょう」

  • 監督室に住み込む青葉昌幸氏
  • 監督室に住み込む青葉昌幸氏

 東京・稲城市の選手寮内にある監督室に住み込む。新型コロナウイルス感染防止に最大限、気をつけながら、60歳近くも年下で“孫”のような学生と暮らす。

 「食事も風呂も一緒。『僕はこのチームが好きだ。年だから話はくどいけど』といつも選手に言っています」

 健康の大ベテラン監督は実は約10年前に大病を経験し、克服した。

 「70歳になる前、悪性リンパ腫ガンを患い、手術した。主治医の先生のお陰で治りました。感謝しています」

 抗がん剤の影響で一時は髪の毛がなくなったが、現在は以前と同じように白髪が戻った。現場で戦い続けるため、3か月に一度、定期検査を行っている。

 日大の箱根駅伝優勝は1974年の50回大会が最後。栄光から長く遠ざかっているが、青葉監督は頂点へのロードマップを堂々と明かす。

 「今季の97回大会では確実に予選会(10月17日)を通過して本戦では7位以内に入る。98回、99回大会で優勝への足がかりをつくる。私の役目はそこまで。次の若い監督のもと、100回大会で日大が優勝しますよ」

 実現すれば、ちょうど半世紀ぶりの快挙となる。78歳の新監督の壮大な挑戦が始まった。

 青葉 昌幸(あおば・よしゆき)

  • 半世紀ぶりの快挙を狙う78歳の新監督・青葉昌幸氏
  • 半世紀ぶりの快挙を狙う78歳の新監督・青葉昌幸氏

 ▽生年月日 1942年6月16日。78歳

 ▽出身 埼玉・大田村(現秩父市)

 ▽高校 秩父農工(現秩父農工科学)入学と同時に陸上を始める。3年時に同校の全国高校駅伝初出場に貢献

 ▽元鉄道マン 61年に秩父農工を卒業後、秩父鉄道に就職

 ▽大学 62年、日大入学。3年時に日本選手権3000メートル障害優勝。4年時に同1500メートル優勝

 ▽箱根駅伝 4年時の66年大会で1区3位

 ▽公務員 日大を卒業後、埼玉県庁に入庁

 ▽大東大監督 68年に25歳の若さで就任。新興校を強豪に育て上げた。箱根駅伝は優勝4回(75、76、90、91年)。90年度は史上初の大学駅伝3冠に輝いた。2000年に退任

 ▽関東学生陸上競技連盟 07~16年に会長。現在は名誉会長

 ▽叙勲 2020年春に「瑞宝中綬章」を受章

 ▽息子はJリーガー 次男の幸洋氏(40)はDFとして甲府、東京V、徳島で計6年プレー

 ◆安全な開催ベスト

 箱根駅伝を主催する関東学連の会長を10年務め、現在は名誉会長。大きな影響力を持つ青葉監督は新型コロナウイルスの影響が続く中、大会のあり方について「箱根駅伝は社会的に高い評価を頂いている。安全に開催されることがベストと考えます」と慎重な表現で持論を明かした。今年の予選会では馬場周太監督(38)率いる古巣の大東大、前大東大監督の奈良修監督(49)が就任した流通経大など教え子と勝負することになる。「お互い頑張ろう、と言いたい」と笑顔で話した。

 【取材後記】

 青葉監督率いる大東大が学生駅伝3冠に輝いた1990年度。私は東洋大陸上部の3年生だった。当時、低迷期にあった東洋大は出雲駅伝、全日本大学駅伝には出られず、箱根駅伝は最下位。私は3区を走り、区間14位に沈んだ。下位チームの無名選手にとって、青葉監督は近寄りがたく、畏敬の念を抱く存在だった。

 2002年まで毎年秋に行われていた東日本縦断駅伝(通称・青東駅伝)でも青葉監督は強豪の埼玉県代表チームを率いていた。埼玉県出身の私は一度でもいいから青東駅伝を走ってみたい、と思っていたが、青葉監督から、お呼びがかかることは、ついぞなかった(というより存在を知られていなかったと思う)。

 それから時は巡り、私がスポーツ報知で箱根駅伝担当記者となった時、青葉監督は関東学連の会長だった。取材する時は妙に緊張した。「青葉会長」ではなく「青葉監督」と呼んでしまい「監督じゃないよ」と苦笑いされることがあったが、また、堂々(?)と「青葉監督」と呼ぶ日が来るとは…。感慨深い。(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

日大の新監督に就任した青葉昌幸氏
青葉監督が率いた大東大が3度目の総合優勝を飾った1990年箱根駅伝。青葉氏は日大監督として再び頂点に挑む
監督室に住み込む青葉昌幸氏
半世紀ぶりの快挙を狙う78歳の新監督・青葉昌幸氏
すべての写真を見る 4枚

スポーツ

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS ショップ報知 マガジン報知 バックナンバー申し込み 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真販売 法人向け紙面・写真使用申請