2009年の花巻東(岩手)は菊池雄星投手(29、現マリナーズ)が中心だったが、チームには“脱・雄星”で勝つという意識があった。当時主将を務め、現在母校で後輩を指導する川村悠真コーチ(28)が、思いを体現できた2試合を振り返った。(取材・構成=有吉 広紀)
厳しい試合展開も、ナインに動揺はなかった。長崎日大との1回戦は菊池が3被弾するなど、8回表を終えて4―5。同年センバツで準優勝し、この大会も優勝候補に挙げられていたチームが追い込まれていた。
「雄星が1試合に3本も(本塁打を)打たれることも初めて。でもこういう試合をものにしたくて、(センバツ後から)ずっと野手陣は努力してきた。雄星が打たれる試合も絶対くるから、そのときは絶対オレらが、と。試合中に監督にも『こういう試合だぞ! このことだぞ!』と言われていた」
言葉通りに8回裏、無死満塁から走者一掃の逆転打が飛び出し、8―5と逆転勝利。2、3回戦は菊池がともに1失点完投勝利した。準々決勝はセンバツで対戦した明豊との再戦。ここにも“試練”があった。
左脇腹を痛め、菊池が5回途中降板。4点リードを逆転されて、再びひっくり返した。9回は先頭打者・川村の右前打からの3連打で同点。延長10回は2死二塁から川村の中前適時打で7―6と勝利した。
「それまで、雄星が降板して逆転したことはなかった。でも負けている雰囲気はなかったし、もう1回雄星を投げさせたい、その思いが強かった。本当に雄星抜きで勝った試合」
菊池をはじめ、実力のある個性的な選手がそろった当時のチーム。だが周囲のことを常に一番に考えていたのは、菊池だったという。
「普段は仲がいいけど、ユニホームを着るとけんかになるくらい言い合った。そうじゃないと本物のチームワークができてこない。すごいと思ったのは、チームで一番すごい選手(菊池)が控え選手に声をかけたり、チームのことを1番に考えていたこと。菊池が天狗になったり浮いていたらまとまらなかったし、(雄星の)意識に引き上げられていたところはある」
“脱・雄星”で勝ち進んだが、準決勝は菊池のけがも影響して中京大中京に大敗。目標の日本一には届かなかった。
「(優勝まで)あと2勝だったし、結果に対する悔いはすごくある。でも、自分たちがやってきたことには悔いがない。結果に悔いはあっても過程に悔いはない」
春夏合わせて計10試合。岩手県出身者だけで臨み、躍動した聖地だった。
「甲子園はやってきたこと以上のものが出る。球場が後押ししてくれるような雰囲気。今の選手にも感じてもらいたい。今(の選手)のほうがうまいですよ。でもチーム一丸で、というところは自分たちのほうが上かな」