【1985年の6月17日】史上最強の柔道王・山下泰裕が28歳で現役引退 203連勝の不敗記録を残し畳を下りる

目に涙の「世界のヤマシタ」。引退という言葉を口に出した途端、万感がこみあげたのか、口を真一文字に結んだ
目に涙の「世界のヤマシタ」。引退という言葉を口に出した途端、万感がこみあげたのか、口を真一文字に結んだ
約300人の報道陣に深々と頭を下げあいさつする山下。ワザの切れ味と同じく、鮮やかな引退劇だった
約300人の報道陣に深々と頭を下げあいさつする山下。ワザの切れ味と同じく、鮮やかな引退劇だった

 1985年6月17日は柔道の山下泰裕(現・日本オリンピック委員会会長、全日本柔道連盟会長)が現役引退を表明した日だった。古今東西において、まさしく「史上最強」と呼ぶにふさわしいレジェンドだ。

 世界選手権を4度制覇し、日本が参加をボイコットした東西冷戦下の80年モスクワ五輪での幻の代表を乗り越え、84年ロサンゼルス五輪の無差別級で金メダルを獲得した。

 1977年10月の日本―ソ連・親善試合から1985年4月の全日本選手権優勝を最後に引退するまでの約7年6か月で、7度の引き分けを含む203連勝(19年に柔道最多連勝のギネス記録認定)。また、対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3分け)。いずれもいまだにだれにも破られていない大記録を打ち立てた無敵の王者だった。

 ロス五輪後の84年10月には史上5人目の国民栄誉賞受賞。スポーツ選手としては77年9月に同賞初受賞のプロ野球・王貞治以来、2人目の偉業となった。

 現役時代の思い出の試合は3つある。初めて日本一になった全日本選手権。ロサンゼルス五輪。現役最後の全日本選手権決勝(対・斉藤仁)だった。

 現役引退を発表した当時のことを後に、山下氏は「すごい気が楽になった。ちょんと飛び上がったら3メートルぐらい上がりそうなくらい」と振り返っている。また、203連勝の秘けつについては「過去を振り返らなかったから」と山下氏。偉大な連勝記録を「登山」とも例えた。「自分が登ってきた道を振り返ったら『こんなに頑張ったのか』とびっくりした。理想の山の頂点を目指してやってきて、『こんなもんじゃいかん』と繰り返し頑張ってきた結果が203連勝、全日本選手権9連覇、五輪優勝でした」。

 ロス五輪でも苦しめられた軸足の右脚のけがが完治せず、不敗記録が途切れぬまま28歳の若さで引退を決断した山下氏。現役時代は身長180センチ、体重128キロの巨体で100メートルを13秒台で走る運動能力があった。左の組み手から相手を崩し、連絡技と寝技での合わせ一本を得意にし、寝技はいまでも「最強」と呼ぶ声も多い。

 【山下泰裕の大記録】

 ▼通算成績 528勝16敗15分け。主な対戦選手で負けたのは、上村春樹(4敗)、遠藤純男(4敗)、二宮和弘(2敗)、高木長之助(1敗)。

 ▼203連勝 1977年10月の日本―ソ連・親善試合から1985年4月の全日本選手権優勝(9連覇)を最後に引退するまでの約7年6か月で、7度の引き分けを含む203連勝。そのうちの164勝が一本勝ちだった。19年に柔道では最多連勝のギネス記録として認定された。

 ▼対外国人選手生涯無敗

 116勝無敗3分け。引き分けは、76年モントリール五輪重量級金メダルのセルゲイ・ノビコフ(ソ連)に2度、75年ウィーン世界選手権93キロ級覇者のジャンリュック・ルージェ(フランス)の1度。

 ▼全日本選手権V9

 1977年に史上最年少の19歳で初優勝し、引退する1985年まで9連覇を達成。最後の相手は決勝で下した斉藤仁(故人)。斉藤は山下の後継者として88年ソウル五輪で金メダルを獲得した。

 ◆山下泰裕(やました・やすひろ)1957年6月1日、熊本・上益城郡生まれ。63歳。東海大卒。男子日本代表監督などを経て、2017年6月から全日本柔道連盟会長。国際柔道連盟理事や日本オリンピック委員会(JOC)選手強化本部長などを歴任後、19年に日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任。

目に涙の「世界のヤマシタ」。引退という言葉を口に出した途端、万感がこみあげたのか、口を真一文字に結んだ
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