【2015年6月8日】藤川球児が独立リーグ高知入団 今だから明かすノムさんの生き様に受けた影響

2015年6月8日、高知の入団会見でユニホームに袖を通し、帽子を被る藤川球児
2015年6月8日、高知の入団会見でユニホームに袖を通し、帽子を被る藤川球児

 野球人としてパイオニアになった経緯には、ノムさんの生き様もあった―。

 2015年6月8日、高知県内随一の高級旅館に報道陣約100人が詰めかけ、行われた入団会見。藤川球児投手(当時34)は無数のフラッシュを浴びながら、四国アイランドリーグplus・高知の赤いユニホームに袖を通した。いまや、虎の守護神に返り咲いた男は5年前の決断を述懐する。

 「捉え方によっては、自分も“野村再生工場”の一人なんじゃないかな。メジャーから独立リーグに入って、結果的に阪神に戻ってきた。それは野村監督のおかげかもしれない。そういう生き方ってあるんやなって。岐路に立ったときに、それは自分の中であった」

 故・野村克也さん(享年84)は1998年の阪神ドラフト1位入団時の指揮官。恩師が今年2月11日にこの世を去った直後に思い出を聞いていると、自ずと高知入りに至った背景に話題が及んだ。名将とうたわれた野村さんは南海、ヤクルト、阪神を経て02年に社会人・シダックスの監督に就任。そして、05年に楽天監督としてNPBに舞い戻った。そんな先人の希有な軌跡が藤川の異例の決断の一因になったという。

 確かに当時、米大リーグ・レンジャーズを退団した右腕には阪神や米球団からオファーがあった。それでも、自ら故郷を本拠地にする高知に働きかけ、「新しい人生のスタートとして、最高の決断ができたと思う」と電撃的に入団した。

 メジャーから直接、独立リーグに移籍した日本人選手は過去におらず、契約内容も超異例。契約金はなく、一般的な選手の月10万円の報酬もない、完全なる無給を選んだ。しかも、登板する度にサインを交わす、1試合単位の契約。高知サイドもNPB球団への早期復帰を後押しした、まさに“ウルトラC”といえた。最終的に先発適性など、新境地を切り開き、その年のオフに古巣の阪神に復帰。FA権を行使し、タテジマを去った選手が出戻りするケースも初めてだった。

 「米国では独立リーグからメジャーに戻ることは普通のこと。日本の独立リーグでも、それがあるべき姿になると思っている。だから、自分はその思いでやった」

 ノムさんに感化されて先駆者となり、今季は残り「7」に迫った日米通算250セーブの期待がかかる。球児が新たに作ったルートもまた、後輩たちの道しるべになっていくに違いない。(小松 真也)

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