【札幌】J1から4度目降格の2012年、石崎信弘元監督の苦悩「わしゃ、どうしたらいいんじゃ」

名古屋・闘莉王からマークを受ける古田(右)
名古屋・闘莉王からマークを受ける古田(右)
現在、オンラインでサッカースクールを開講している古田寛幸氏
現在、オンラインでサッカースクールを開講している古田寛幸氏

 コンサドーレ札幌は2012年、J1で3度目の最下位に終わり、4度目の降格となった。9月29日のアウェー・川崎戦に敗れ、史上最速の7試合を残してのJ2行きという、苦しいシーズンだった。同年チーム最多の4得点を挙げ、現在は札幌市内でオンラインのサッカースクール「HERO,s FOOTBALL ACADEMY」を開講する古田寛幸氏(29)が、屈辱の1年を振り返った。(構成・砂田 秀人)

 感じた手応えを結果に結び付けられなかった。自身、最初で最後のJ1舞台を、古田氏は静かに思い返した。

 「僕としてはJ1の方がプレーしやすかった。ガチっと固めて来るJ2とは違い、スペースをくれる分、前を向けたので。ただ個の質の部分が全然違った。今までやれたことができなかったり、思っていた以上にレベルの高いリーグだった」

 挙げた白星はJ134試合でクラブ最少タイの4。9月に4度目の降格が決まった。

 「本当にプレッシャーが半端なかった。外に出るのが怖く、毎週末が苦痛。またボコられるのかと思ったら、試合が来るのが嫌だった。主将の(河合)竜二さんがケガで出られない時、キャプテンマークを着けもしたが(第20節の)セレッソ戦に負けて。サポーターにも色々言われ、札幌に帰って竜二さんに『巻くのがつらい』って相談したほど。降格が決まった次の浦和戦で2点を取って勝てたのは、重圧が解けたから。それまでは追い詰められてました」

 忘れられないシーンがある。同年で退任した石崎信弘監督が、練習場で見せたある日の姿だ。

 「グラウンドに出る階段で靴ひもを結んでいたら、横に石さんが座って。僕に言ってる風ではないんだが『わしゃ、どうしたらいいんじゃ』『DFに誰を使ったらいいんじゃ』と漏らすのが聞こえて来て。監督が一番きつかったんだろうな」

 好結果は残せなかったが、昨季引退した古田氏にとっては有意義な1年になった。

 「僕はJ1からJ3までの全カテゴリーを経験した。子供を指導する上でも、日本サッカー全体を見たことは生きている。いい経験になったと、今は思いますね」

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