【1998年6月1日】W杯メンバー落ち前日 「背番号11」カズが魂のハットトリック

日本代表ースタッド・ニヨン戦でシュートを放つ三浦知
日本代表ースタッド・ニヨン戦でシュートを放つ三浦知

 1998年のサッカーフランスW杯の直前。栄えある初のW杯日本代表メンバー発表を翌日に控えた6月1日、直前合宿地のスイス・ニヨンで練習試合が行われた。

 相手はスイス3部リーグに属する地元のセミプロ、スタッド・ニヨン。日本の出場メンバーは当落線上の選手だった。

 ニヨンで行われた合宿には25選手が参加。当時のW杯登録メンバーは22人。つまり、翌日、3人が落選することが決まっていた。

 日本のエース三浦知良(当時V川崎)は、その前日(5月31日)の国際親善試合メキシコ戦で出番なし。追い込まれていたキング・カズは、国際Aマッチに決して含まれないスタッド・ニヨン戦で最後のアピールに打って出て、抜群の存在感を発揮した。

 前半5分にPKで先制ゴールを決めると、前半15分には故障を抱えていた左足で追加点をゲット。さらに、後半27分にはヘディングでゴールを決めた。キングの魂のこもったプレーで、日本が3―0で快勝した。

 カズは前年のW杯アジア最終予選では相手の厳しく、時には汚いマークを受け、満身創痍(そうい)に。4得点を挙げた初戦のウズベキスタン戦以来、調子は下降線をたどっていた。しかし、土壇場で、体調はようやく上向きかけた。

 現場で取材していた私には、プレーと同じくらいに覚えているシーンがある。

 スタッド・ニヨン戦で、日本代表は、他の練習試合や紅白戦と同様に公式ユニホームは使用せず、練習ウェアの上に番号入りのビブス(メッシュ地のベスト)を着用して臨んだ。試合直前、チームスタッフがベンチにビブスを運んでくると、カズは、いち早く駆け寄り、「11」の番号が入ったビブスを手にした。

 翌6月2日、運命のメンバー発表。岡田武史監督は「外れるのは、市川、カズ、三浦カズ、それから、北沢。3選手です」と声を震わせながら発表した。カズは11番の日本代表ユニホームを身にまとうことなく日本へ帰った。カズの落選は日本中で論争が巻き起こり、その論争は今なお続く。

 フランスW杯の舞台に立つことはなかったが、今も昔も、キング・カズの代名詞が11番であることに変わりはない。ビブスの山から、むさぼるように「11」を探す姿は22年の年月を経ても忘れられない。

 国際Aマッチに含まれない練習試合。しかも、相手がセミプロだったが、日本代表としてカズの“現時点”で最後のハットトリックを現場で目撃したことは記者冥利に尽きる。キングに敬意を表して、あくまで“現時点で”と付け加えたい。(竹内 達朗)

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