「俺が一番強いんだよ」と叫んでいたジャンボ鶴田…金曜8時のプロレスコラム

スタン・ハンセンとの抗争で三冠ヘビー級王座を統一したジャンボ鶴田(写真は1992年1月28日、千葉公園体育館での防衛戦)
スタン・ハンセンとの抗争で三冠ヘビー級王座を統一したジャンボ鶴田(写真は1992年1月28日、千葉公園体育館での防衛戦)

 初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田さん(享年49)が2000年5月13日に亡くなってから今年で20年になることを記念して元「週刊ゴング」編集長の小佐野景浩さん(58)が「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」(ワニブックス、1800円+税)を出版したことは、このコラムでも紹介したが、まだまだ鶴田メモリアル月間を終わらせたくないので、書かせていただきたい。

 “熱血プロレスティーチャー”との異名を持つ小佐野さんは「ジャンボのすごかった所だとか、ウィークポイントだとか、長州さんを始めアマレス時代の関係者が語ってくれたことは収穫でした」と話し、レスリングのミュンヘン五輪代表時代の鶴田さんをあらためて掘り起こしたことが読ませ所だ。さらに「確かに礼賛ばかりになってないかもしれません。クーデター未遂事件やジャイアント馬場さんとの関係のことも書かせていただきました」と裏面史をしっかり押さえていることも、同書の魅力だ。

 だが、ステイホームのご時世だからこそ、592ページの分厚い一冊をじっくり読んでみて、気付いたことがあった。全11章あるうちの「第9章 鶴龍対決」に出てくる、1989年(平成元年)のインターナショナル、UN、PWFの三冠ヘビー級統一のくだりだ。章題にもある通り、三冠統一という偉業よりも、天龍源一郎との初防衛戦からの「鶴龍対決」が世間の注目を浴びたが、ここではスタン・ハンセンとの統一への攻防がしっかり書かれている(以下、敬称略)。

 実は、ハンセンとの攻防は、ブーイングが起きた統一劇だった。4月16日の東京・後楽園ホール大会で、当時UN、PWF王者だったハンセンとインター王者の鶴田が統一戦を行ったが、場外乱闘からノーコンテストという裁定。マイクアピールする鶴田に「帰れ」コール、「金返せ」コールが起きたのだ。

 2日後の18日の大田区体育館大会で同一カードが事前に組まれていたことも、後楽園のファンの心情を逆なでした。果たして、大田区大会で鶴田は、ハンセンを丸め込んで、史上初の三冠統一を成し遂げたのだった。当時は1987年にプロボクシングのマイク・タイソンがWBC、WBA、IBFの三大ヘビー級王座を統一し、三冠統一というワードが熱狂を呼んでいた時代背景があった。なのに、鶴田の統一劇は、ブーイング含みということで、名場面として振り返られることは少ない。

 小佐野さんは、三冠統一劇の控え室での鶴田の談話を、あらためて紹介している。

 「ここにベルトがあるってことは、俺が一番強いんだよ。俺が全日本で一番強い! 天龍でもハンセンでも、いつでも挑戦を受けてやるよ」

 名言だ。「俺が一番強い」ということを鶴田さんが言っていたという事実。当時は全く話題にならなかったし、小佐野さんも、出版にあたって、ここをフィーチャーしなかった。なぜ、歴史的名言にならなかったのかは、鶴田さんが「全日本で一番強い」と注釈を付けたからだろう。当時、アントニオ猪木がエースだった新日本プロレスを挑発する意図がないことを含んでいるのだ。鶴田さんと違って、そこへの遠慮がない天龍がファンの支持を得るのは当然のことだった。(酒井 隆之)

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