【札幌】コンサドーレ証言録…最下位翌年の05年も昇格ならず DFで11発の池内友彦氏「まとめ役がいれば」

第26節の仙台戦でゴールを決めて喜ぶ池内(左)
第26節の仙台戦でゴールを決めて喜ぶ池内(左)
スポンサーの上田商会、スポーツ施設北海道株式会社の協力を受け、サッカー教室も開催する池内氏(後列中央)
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 コンサドーレ札幌は2005年、J2最下位の前年に続く“緊縮財政”のもと、若手、日本人主体で巻き返しを図っていた。昇格を争いながら6位に終わった柳下体制2年目に輝いたのは、同年に鹿島から復帰し、DF登録としてJ2最多記録(当時)の11得点をあげた池内友彦氏(42)だった。現在は東海大札幌高や運営するサッカースクールで育成にあたる指導者が、当時を振り返った。(構成・川上 大志)

 J2最下位から反撃を狙った05年。5節までは1勝止まりも、就任2年目の柳下監督が掲げた「アクションサッカー」も徐々に浸透し、その後は昇格を争う強豪からもしぶとく勝ち点を重ねていった。同年のチーム得点王はFWでなく、当別町出身で同年に鹿島から復帰したDF池内氏。04年に続き日本人のみで始動した集団を攻守で引っ張った。

 「監督が欲しいと言ってくれて(レンタルの)99、00年に続き戻った格好。スターぞろいの鹿島では周りがやってくれるという雰囲気もあったが、札幌は若手が多く助っ人も途中加入のFWデルリス(10年に交通事故で死去)だけ。27歳でも引っ張らなきゃと。そのぶん頑張れば返ってくるチームでやりがいも感じていた」

 3バックの左を主戦場に体を張る傍ら、プレースキッカー上里とのホットラインから放つヘディングシュートや度肝を抜く直接FKで、33試合出場ながら、当時のJ2DF最多の11得点を記録した。好調男の活躍と共にチームも第4クール途中まで昇格を争う位置につけ、ファンの期待も膨らんでいった。

 「後にも先にもあんなに点を取ったことはない。1本打てば1点取れる。そんな“ゾーン”に入っていた。今でも(元日本代表、鹿島FWの鈴木)隆行さんなんかには『05年のイケは、消える直前のろうそくが一瞬燃えるのと同じだったんじゃない』って言われますね」

 最終的に3位と勝ち点6差の6位。逃した昇格はその後07年まで待つことになった。自身は故障などで08年引退。子供たちの育成に尽力している今だからこそ、自分の若さや、もっとやれたのではとの思いも浮かぶ。

 「6節の湘南戦では報復行為で退場し、その後(7~13節の)1か月以上試合に出られなかったり。人としての反省も多かった。個々で頑張れる選手は多かったけど自分含め、まとめ役があと1、2人いれば違う結果が出たのかも。最後の最後に昇格も消えて勝ち点3の重みを知った一年でした」

 ◆2005年の出来事

 ▽3月25日 「愛・地球博(愛知万博)」が開幕。

 ▽4月25日 JR福知山線脱線事故発生。死者107人。

 ▽7月 知床が世界遺産(自然遺産)に登録。

 ▽10月14日 郵政民営化関連6法が成立。

 ▽同23日 ディープインパクトが菊花賞に勝利。無敗でクラシック3冠馬となる。

第26節の仙台戦でゴールを決めて喜ぶ池内(左)
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