【札幌】J2で最下位、どん底だった04年…「生卵投げられ、引っ越した選手も」乗り越えたからこそ今がある

今年からヴィアティン三重で広報担当となった和波氏
今年からヴィアティン三重で広報担当となった和波氏

 コンサドーレ札幌は2004年、1つの転換期を迎えた。強化費を大幅に減額し、若手主体へとシフトチェンジする5段階計画を策定。大型補強はやめ、身の丈にあった経営を目指し始めた。初めて外国人なしで戦い、クラブ史上唯一となるJ2最下位に終わった同年を、現在JFLヴィアティン三重で広報を務める和波智広氏(40)が振り返った。(構成・砂田 秀人)

 厳しい現実が待っていた。1月にJ1神戸へ期限付き移籍した和波氏だったが、札幌からの強い要請を受け5月、札幌に戻った。同月15日の横浜C戦で戦線復帰するも、5連敗中のチームはJ2最下位に沈んでいた。

 「勝ってる時は何も考えなくても皆が同じ方向を向けるものだが、最下位だったので。はい上がるためのきっかけが欲しいなと。僕はその時24歳。年長者もいたが、若手を使わなきゃいけないチーム状況だったので、上と下の間に入って雰囲気作りはしようと」

 強化費が大幅に減額され、クラブ史上初めて、外国人がいない中での04年の戦い。前年、J1磐田を天皇杯優勝へ導いた柳下正明新監督の下、懸命に戦うも、最下位からは抜け出せなかった。

 「僕が札幌に来たのはJ1にいた01年。いい時を見ている人も多かったから、この年は『何でJ2にいるんだ』とよく言われて。車に生卵をぶつけられもしたし、引っ越した選手もいた。熱い土地なんだと改めて思った。確かになかなか勝てなかったけど、クラブは将来も考えながらやっていたし、ヤンツーさん(柳下監督の愛称)の知識もすぐに浸透とまではならなかったけど、チームが良くなっていく感じはありましたから」

 和波氏は2度目のJ2優勝を飾った07年まで札幌でプレーした。喜びも多く味わってきた中、結果の出なかったこの年も、印象深い年として記憶に残っている。

 「悪い時期も経験しないと、いい時ばかりじゃ気付かないことはたくさんある。あの時にクラブが『やめた』とならず、苦しい年を乗り越えたからこそ、今のコンサドーレの盛り上がりがあると思う。僕個人としても非常に濃い時間を札幌で過ごせたので。だって卵をぶつけられるなんて、日本にいたら選手をしてたってまず経験できないし。そんなこともあったけど、いい思い出は多いし、本当に今でも住めるなら住みたい場所。当時を振り返ると、たくさんの人が応援してくれるって当たり前じゃない、特別なことなんだと思いますね」

 ◆2004年の出来事

 ▽3月27日 北海道移転元年となった日本ハムが開幕戦黒星スタート。

 ▽8月 アテネ夏季五輪が開催。日本は金16、銀9、銅12個のメダルを獲得。

 ▽同22日 夏の甲子園で駒大苫小牧が道勢初優勝。

 ▽10月23日 新潟中越地震が発生。震度7を記録。

 ▽11月1日 20年ぶりに図柄を刷新した1万円、5000円、1000円札の新紙幣が発行。

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