「もう負ける気しなかった」浜松開誠館・青嶋文明監督が振り返る85年度高校サッカー・清水商の初V

初優勝を果たし記念撮影でガッツポーズする清水商イレブン(86年1月8日撮影)
初優勝を果たし記念撮影でガッツポーズする清水商イレブン(86年1月8日撮影)

 1985年度の第64回全国高校選手権(86年1月1日~8日)で清水商が頂点に立った。各種全国大会で計12回の優勝を誇るが、これが初Vだった。そんな名門校は、13年に庵原との統合で清水桜が丘となり「清商」の名は消えた。85、86年度と県選手権で2年連続得点王に輝いたエースFWの青嶋文明・現浜松開誠館高監督(51)が「キヨショウ」の思い出を語った。(里見 祐司)

  • 懐かしそうに高校時代を振り返る青嶋氏
  • 懐かしそうに高校時代を振り返る青嶋氏

 85年11月16日、全国切符を懸けた決勝戦を午後に控えた清商イレブンは、午前中に校庭で練習した。その後、ミーティングを開いた。出場するメンバーが順番に決意表明。当時2年生の青嶋氏も口を開いたが、言葉にならなかった。

 「上級生のためにFWとして点を取りたかった。でも先輩たちが泣き出して、自分も感激がこみ上げてきて号泣したことを覚えています。草薙球技場に移動して試合を迎えたときはトランス状態でした。極限の精神状態でスイッチが入った」

 相手は東海大一(現東海大静岡翔洋)。夏の県総体で1回戦敗退の清商に対してベスト4(優勝は静岡北)。東一有利とする声が多く、「点を取らないと勝てない」と青嶋氏は思っていた。その決意通り、前半27分、後半23分と2得点。しかし2度とも追いつかれてPK戦へ。

 「延長戦が終わった瞬間に、地面に倒れ込んだんです。疲れもあったし『自分の役割を果たせた』とホッとしたこともあった。そうしたら大滝(雅良)監督に『まだ勝負は終わってないぞ!』とどなられました。それで目が覚めました」

 「清商の強さ」を支える、勝利への執念、精神面の強さを象徴するシーンだ。PK戦は2―1で勝利。

 「6番目に蹴る予定でした。正直びびってました。回ってきたら外していたと思います(笑い)。でもGKは真田(雅則)さんだから止めてくれるだろう、と思っていました」

 翌年1月、清商にとって4年ぶり4回目、青嶋氏にとっては初めての全国選手権が始まる。

 「夢のようでしたね。別世界に降り立ったような感覚でした。楽しくて仕方がなかった」

 青嶋氏は浜松市出身。小3でサッカーを始め、「将来は地元の高校で」と考えていた。だが中2のときに県のジュニア合宿に参加して衝撃を受けた。中2から高2までの有力選手が集まった練習会では清水勢(清水東、清商、東一)の実力が際立っていたのだ。

 「雑誌で見たような選手がゴロゴロいて、カルチャーショックでした。中3のときに浜松から武田(修宏)さんが清水東に行ったこともあり、清水の高校に行こうと決めました」

 進学先は清水商。当時は地元の選手ばかりで、約30人いた1年生の中で、浜松出身は1人だけ。サッカー部の先輩の自宅に下宿させてもらったが、実力差は想像以上だったという。

 「通用しない、ということはすぐに分かった。でも地元に帰るわけにもいかず、先輩に『練習するしかないよ』と励まされました。朝はだれよりも早く来て、夜も1番最後まで残って練習しました」

 着実に実力を伸ばし、秋にはメンバーに入り、県選手権2次リーグで先発。だが静岡工(現科学技術)に2―3で敗れて決勝トーナメントに進めなかった。

 「伊達(倫央)さんや江尻(篤彦)さんがいて強いチームだったのに、何もできずに開始15分くらいで交代。試合後に3年生が号泣しているのを見て、なんとしても結果を出して恩返ししないと、と思いました」

 2年夏の県総体も勝てなかったものの、3年生を中心にまとまってきていた。各自の役割が明確になり、イレブンは手応えをつかんでいた。青嶋氏も秋の国体でメンバー入りして優勝を経験。出番は少なかったが、全国のレベルを見て「やれる」と感じていた。

  • 佐賀学園戦でゴールを決めた青嶋(中)(86年1月3日撮影)
  • 佐賀学園戦でゴールを決めた青嶋(中)(86年1月3日撮影)

 全国選手権の舞台でも青嶋氏の活躍は続く。佐賀学園との初戦では前半34分にゴールを奪い、1―0で勝った。だが1番印象に残っているのは鎌倉(神奈川)との3回戦だという。試合は2―0で快勝したが、当日は雪交じりの雨だった。そんな悪天候の下で、全校生徒が清水から駆けつけて声援を送ってくれたのだ。

 「気温はマイナス。めちゃくちゃ寒かった。そんな中、クラスメートがずぶぬれになって応援してくれているのを見て、スイッチが入りました。もう負ける気がしなかったです」

 自分のためじゃない。チームの仲間のため、そして清商のために勝つ。気合が入った。五戸(青森)、宇都宮学園(栃木)を倒して決勝へ。相手は四日市中央工(三重)。東京へ出発する直前に練習試合をして勝っており、不安はなかった。清商は2―0で勝ち、初優勝を飾った。

 「スタンドの先輩の姿を見て号泣した覚えがあります」

 翌日は紙吹雪が舞う中、駅前をパレード。下宿の近所を通ると、たくさんの人が笑顔で声を掛けてくれた。浜松から一人で清水に来て、壁にぶつかりながらも練習を重ねて結果を出し、実力を認めてもらえた。

 「幸せな時間でした」

 卒業後は清水エスパルスなどでプレー。05年から浜松開誠館高を指揮し、18年度の全国選手権に出場した。そんな青嶋氏にとって、中身の濃い3年間を過ごした清水は「特別な場所」だ。

 「感謝しかありません。清商では地道に努力することの大切さや、周囲に感謝することを学ばせてもらいました」

 当時のイレブンを奮い立たせた全校応援は、清商が清水桜が丘になっても変わっていない。サッカーはもちろん、バレーボールなど各種県大会決勝になると大応援団が駆けつけ声援を送る。吹奏楽部による名曲「清商サンバ」は「清桜(せいおう)サンバ」として演奏され続け、選手を元気づける。「いつか清水に帰りたいですね」と青嶋氏は「故郷」に思いを寄せた。

 ◆青嶋 文明(あおしま・ふみあき)1968年7月12日、浜松市生まれ。51歳。浜松東部中―清水商。2年冬に全国制覇。卒業後はヤマハ発動機でプレーし、92年から95年まで清水に在籍。旧JFLの鳥栖、本田技研を経て98年に引退。178センチ。家族は妻と1男1女。

 ◆清水商 1922年開校。サッカー部は51年創部。全国選手権に12回出場して優勝3度。全国総体で4度、全日本ユース5度の優勝を誇り、Jリーガーを多数輩出。13年に清水桜が丘になって以降は選手権1回、総体に2回出場。

 ◆1985年度(85年4月~86年3月)の出来事 電電公社が民営化でNTTに。松田聖子と神田正輝が結婚。日航機が群馬山中に墜落。プロ野球は阪神が日本シリーズで西武を倒して初の日本一に。ドラフトでPL学園の桑田が巨人、清原が西武へ。

初優勝を果たし記念撮影でガッツポーズする清水商イレブン(86年1月8日撮影)
懐かしそうに高校時代を振り返る青嶋氏
佐賀学園戦でゴールを決めた青嶋(中)(86年1月3日撮影)
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