【ヒルマニア】巨人最強助っ人のクロウV打&加藤初が自身初の無四球完封で3500勝…通算6000勝へあと1

1986年8月2日に行われた広島戦で散発5安打の無四球完封勝利を飾り、笑顔を見せる加藤初(右)(左は中畑、中央は岡崎)
1986年8月2日に行われた広島戦で散発5安打の無四球完封勝利を飾り、笑顔を見せる加藤初(右)(左は中畑、中央は岡崎)
3回に広島先発の川口(左)から先制の適時二塁打を左翼線に放つクロマティ(中)(捕手は達川)
3回に広島先発の川口(左)から先制の適時二塁打を左翼線に放つクロマティ(中)(捕手は達川)

◆広島0-2巨人(1986年8月2日、広島)

 巨人が通算3500勝を挙げたのは、1986年8月2日の広島戦(広島)だった。球団史上最強の助っ人、ウォーレン・クロマティが3回、左翼線に先制の適時二塁打を放つなど3打数2安打1打点。先発した36歳のベテラン、加藤初が散発5安打の無四球で自身10度目の完封勝利を飾った。広島と最終盤までデッドヒートを繰り広げたが優勝を逃したシーズンに「ヒルマニア」で迫る。(随時掲載)

 敵地・広島球場での熾烈(しれつ)な首位攻防戦。36歳の加藤初が、3回のクロマティの先制二塁打と7回に敵失で挙げた2点を守り、自身10度目の完封勝利を飾った。散発5安打、三塁を踏ませず無四死球の完璧な内容。首位・広島へゲーム差なしに迫った快投に、当時スポーツ報知の人気コラム「激ペンです」の筆者・白取晋記者は「加藤に贈るホメ言葉が見つからない。黙って土下座する以外に、オレの気持ちを加藤に伝える方法はない」と書いている。

 1976年にノーヒットノーランを同じ広島球場でマークした加藤にとって、これが現役生活最後の完封劇でもあった。当時はあまり数字にこだわらなかった(当時、記録記者で、この日の「記録室」担当だった私も無視していました)のか、紙面に通算3500勝の文字はない。

 この年のペナントレースは開幕から広島とのマッチレースが続いたが、3500勝の翌3日も勝ち、7月25日以来の首位に浮上。8月27日には広島に5・5ゲーム差をつけた。ところが、その後はもたついて9月23日の首位攻防3連戦の初戦に敗れて2位に転落。翌日には、36号を放った主砲・原辰徳が、9回にファウルを打った際に左手有鈎(ゆうこう)骨を骨折。全治1か月の重傷を負った。

 だがヤクルト戦での頭部死球の翌日に代打満塁アーチを放ったクロマティらの活躍で、10月4日まで8連勝して再び首位に返り咲いた。ただ、この時点で残りは2試合。7試合を残す広島に2・5ゲーム差をつけていたが、マジックは全勝すれば逆転となる広島に「7」が点灯していた。

 広島は巨人が試合のなかった4~6日に3連勝。7日も北別府学の好投で中日に完封勝ちし、巨人はクロマティの逆転2ランが飛び出した直後に、槙原寛己がブロハードに2ランを浴びヤクルトに逆転負けで首位から陥落した。最終戦は横浜に大勝したが、広島も取りこぼさなかった。リーグ最多の75勝を挙げながら3厘差で、王貞治監督の就任から3年連続のV逸。勝利数が多かったものの優勝できなかったのは74、82年(共に優勝は中日)に次いでチーム3度目の屈辱となった。(蛭間 豊章=ベースボール・アナリスト)

 ◆加藤初、肝の据わった「鉄仮面」

 どんなピンチを迎えても、現役時代の加藤初はマウンド上で表情を変えなかった。肝が据わった右腕についたニックネームは「鉄仮面」。完封勝利を飾ったこの日の広島戦でも、笑顔を見せたのは最後の打者・山本浩二を三邪飛に打ち取った時だった。

 1971年のドラフト外で西鉄へ入団。1年目の72年に17勝を挙げて新人王を獲得した。75年オフ、同年に球団史上初の最下位となった巨人にトレードで移籍すると、76年4月18日の広島戦でノーヒットノーランを達成。同年は15勝4敗8セーブの好成績で長嶋巨人のV1に貢献した。オフの健康診断で肺門リンパ腫が見つかったが現役続行を熱望。「ろく膜炎」と病名を公表し、翌年も入院生活が続いた。

 77年6月に復帰。81年は12勝を挙げて江川卓、西本聖、定岡正二らとともに、藤田巨人のV1に力を発揮した。83年のシーズン途中、右肩の血行障害から戦線離脱して手術。それでも84年に10勝、86年には14勝を挙げ、先発陣の一角を担った。90年に引退するまで通算141勝を挙げるなど、強い精神力で故障を何度も克服してきたが、2016年12月に直腸がんのため66歳で死去。物静かな「鉄仮面」は頼りになり、記憶に残る男だった。

 ◆加藤 初(かとう・はじめ)1949年12月20日、静岡・富士市生まれ。吉原商を卒業後、亜大に進学も1年途中で中退。大昭和製紙に入社し、都市対抗野球や日本産業対抗野球大会で活躍した。71年オフにドラフト外で西鉄へ入団し、巨人に移籍した76年にリーグトップの勝率.789をマーク。90年に引退。通算490試合登板で141勝113敗22セーブ、防御率3.50。95年に西武2軍投手コーチで現場復帰し、1軍コーチも務めた。2016年12月、直腸がんのため死去。享年66。右投右打。

 ◆ウォーレン・クロマティ 1953年9月29日、米フロリダ州マイアミ出身。66歳。米大リーグのエクスポズ(現ナショナルズ)で活躍後、84年に巨人入りした。来日1年目から35本塁打。89年に3割7分8厘で首位打者、MVPを獲得。「クロウ」の愛称で親しまれた。90年に退団。巨人での通算成績は779試合、打率3割2分1厘、558打点、171本塁打。91年にロイヤルズで米大リーグに復帰も、同年限りで引退。今季から巨人とアドバイザー契約を結んだ。左投左打。

 ◆1986年の巨人 王貞治監督就任3年目のシーズン。4月4日、ヤクルト戦の開幕投手はエースの江川卓が務めた。6月5日の阪神戦でルーキーの桑田真澄がプロ初勝利。夏場からは広島との激しい首位争いを繰り広げた。9月24日の広島戦で原辰徳が左手首の有鈎(ゆうこう)骨を骨折して戦線離脱し、10月12日にV逸が決定。ゲーム差なし、勝率わずか3厘差で及ばず2位に終わった。

 ◆1986年の主な出来事

 ▽1月 米スペースシャトル「チャレンジャー」が発射直後に空中爆発

 ▽4月 男女雇用機会均等法施行

 ▽同 アイドルの岡田有希子が東京都内のビルで飛び降り自殺

 ▽同 ソ連のチェルノブイリ原発で爆発事故

 ▽6月 阪神のランディ・バースが巨人の江川卓から7試合連続本塁打

 ▽9月 中野浩一が世界自転車選手権プロスプリントで10連覇

 ▽12月 タレントのビートたけしらが写真週刊誌「フライデー」の編集部襲撃

1986年8月2日に行われた広島戦で散発5安打の無四球完封勝利を飾り、笑顔を見せる加藤初(右)(左は中畑、中央は岡崎)
3回に広島先発の川口(左)から先制の適時二塁打を左翼線に放つクロマティ(中)(捕手は達川)
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蛭間 豊章
 (ひるま・とよあき)1954年3月8日、埼玉県生まれ。名門・大宮高野球部は1年で退部したが、野球への愛着が募り、73年報知新聞社入社。記録記者、MLB専門記者と野球一筋。野球知識検定3級。ウェブ報知内のブログ「ベースボール・インサイド」(https://weblog.hochi.co.jp/hiruma/)や野球コラムも執筆中。愛称は「ヒルマニア」。

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