フォークの元祖・杉下茂と、打撃の神様・川上哲治の攻防‥プロ野球取材歴40年超 名物記者がつづるレジェンド秘話

中日・杉下茂
中日・杉下茂

 元巨人監督・川上哲治さんの生誕100年をお祝いして書き始めた拙文ですが、前回までは教え子でもある堀内恒夫さん(スポーツ報知評論家)に師匠を語ってもらいました。最後は川上さんと現役時代に戦った元中日のエース、フォークのボールの元祖・杉下茂さん(94)に締めていただきます。球界の歴史の証人が熱い戦いを繰り広げた好敵手を語ります。

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 熊本工から巨人に入団した川上から遅れること11年、杉下は1949年、明大から中日に入団した。川上はすでに「打撃の神様」として球界に君臨していた。杉下にとっては「いつか川上さんと勝負が出来る投手になる」との思いを抱いてのプロ入りだった。

 初対戦はその年の7月10日、長野・上田市営球場。杉下は巨人に1対7と大量リードされた場面でマウンドに上がった。初球は見逃しでストライク。続く2球目を右翼席に2ランを打たれた。その年は3試合、9打数4安打4打点、3試合すべてに打点を記録されると、そこから53年まで5年連続で3割以上をマークされた。「これでもか、これでもかとストレートで向かっていったよ。でも通用しなかった。完膚なきままにつぶされたという感じだよね」。お手上げだった。

 杉下は川上の印象を「ものに動じず、泰然自若としていて、威厳があった」と表現している。1度打席に入ると、絶対に打席を外さなかったという。「いつでもかかってこい、という感じでにらみつけられた。こっちはすくんじゃうよ。監督をやってからもそんなムードがあったもの」。

 負けん気が強かった杉下は、打たれても、打たれても、ストレートで勝負を挑み続けた。しかし、監督の天知俊一には、それが我慢ならなかった。天知と杉下は帝京商、明大時代からずっと監督と選手の間柄だ。「優勝したいのなら、もっとフォークを投げろ。川上にもっとフォークを使え」。師匠から命令されれば、従わざるを得ない。杉下はついに「宝刀」を抜いた。

 54年、川上にだけは初球からでもフォークボールを投げた。対戦が多くなると、川上の打撃の傾向も分かってきた。川上は他の打者と違い、追い込まれるとストライクゾーンを狭めて来て、ボール球を振らなかった。逆に打者有利のカウントではけっこうボール球を振ってくれた。だから、わざとボールを先行させ、ストライクを取りに行くと思わせたボール球を打たせたりした。追い込んでから苦手な内角高めにストレートを投げれば打ち取れる確率も高かったが、そこへ行くまでによく打たれたという。

 54年のシーズン、川上を53打数10安打、1割8分9厘に抑え、打点を1しか記録させなかった。自分が投げたフォークボールを川上が「キャッチャーが取れない球を打てるわけがない」と形容したのも聞いた。

 チームの主砲、川上を抑えたことで、この年は対巨人戦だけで11勝(5敗)するなど、シーズン32勝12敗、防御率1・39で最多勝、最優秀防御率、奪三振、勝率と投手部門のタイトルを総なめ。チームをリーグ優勝、日本一にまで導き、リーグ、シリーズ両方でMVPを獲得した。杉下が初めて打撃の神様に「勝った」と思えた年だった。

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 堀内恒夫さんにはV9監督を、杉下茂さんには打撃の神様を語っていただきました。6回の連載で、川上哲治像の一端をうまく紹介出来たでしょうか。つまらなかった? それはロートル記者のブランクのせいです。お許しください。

 プロ野球界からようやく球音が聞こえようとしています。野球ファンの誰もが待ち望んでいた開幕がもうそこまで―。さあ、レジェンドから現役へバトンタッチです。またどこかでお会いしましょう。

     (洞山 和哉)

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